2020年9月30日

僕がある奈良女から学んだ事――或いは韓風批判

きのう、大変酷い目に遭った。余りに精神的衝撃が大きいので、将来、少し時を置けば冷静に自分が経験した物事の全てを、振り返って記述できる様になるかもしれない。しかし現時点の自分にそれが十分できる様には思えない。調度、大災害に遭った人の様に――自分も東日本大震災・福島原発事故の被災者だが。
 唯、なるだけ早く自分の経験を再考察する事で、自分が二度と同じ様な酷い目に遭わずに済む為の何らかの知恵を、心的衝撃が詳細に残っている段階でとりだせるかもしれないので、これから記述を試みる。それは微細に穿って完全なものではないだろうが、事件の本質にある或る概括は捉えられるかもしれない。

 先ず今から数年前、自分はピグというサイトの中にあるイベントという場所で、或る人物が次の様に語っているのを目撃した。
 そのアバターは25才で死ぬ予定だという。それも自殺でだという。そのイベントは『反出生主義』という名前で、アバターは女の様だった。

 これらの条件が揃ってる時点で自分は気づくべきだった。これは唯の地雷で、メンヘラ構ってちゃんが愚痴言ってるだけの場所、素通りすべきなのだと。しかし当時の自分は、事件の全てを経由した今となっては過去の事だが、人格主義的な利他主義者の様なもので、自殺を止めてあげた方がいいのではないかと、かなり常識的な事を考えてしまった。義を見てせざるは勇なきなり。もしそこでもあてはまるなら、自殺願望のやつを放置していいものか?
 そのアバターは繰り返しイベントを開いて、わけのわからないそれなりに下卑た恋愛相談だの(自分は大学生で教授が気になっているだとか)、一方でどんな死に方をするつもりだの生まれた不幸だのを語って、周りの子供を厭世観に扇動していた。自分はそのアバターの言動を慎重に観察した。数日後わかったのは、そのアバターの操作者は当人の言では、母親が過度の教育ママで、あらゆる自由を制限され人生に絶望したのだという。奈良に住んで、神戸の女子大学に通っているという。事情を聴いてみると、そもそも親に人生を狂わせられている様でもあり、幾らか同情の余地はあるのではないかと思われた。だがこの「良識的な」判断が、数年後に当たる今から振り返ると、間違っていた。唯の情状酌量の類にしかならなかったのだ。本当に問題があるのは、実際にはその人物自身だった。先ずこの過程で自分の当時の行動には幾つも間違いがある。最初に大雑把に「メンヘラ構ってちゃん」なるものの孕んでいる決定的悪質さを、当時の自分はろくにしらなかった。単に或る事情で困っている人、もしくは偏った思想――ショーペンハウアーに近いものに傾いた人ではないか? と安直に判断していた。特に、相手が多かれ少なかれ不埒な恋愛観を語っていた時点で「地雷」と気づくべきだった。この点で当時の自分は、女一般もしくは或る種の個性に甘すぎた。経験的にいえるのは、女一般の性格の悪さが僅かでも見えている時点で、その相手とは係わり合いにならない方がいい。それは氷山の一角だ。「メンヘラ構ってちゃん」といって差し支えない人物が、現に精神科とか心療内科とかを診察している場合、その人を何らかの点で精神的に支えようと考えると、先ず自分の人生は犠牲になると考えなければならない。これが福祉の現場で日々起きている事であるが、特に、自分みたいに感受性が高い人は危険だ。ビッグファイブで神経症傾向が激しい人達、精神的不安定さが甚だしい性格特性をもつ人々のうち、具体的に何らかの精神疾患と診断されている部類の人に対しては、専門医の指導を十分に仰ぐべきで、それを超えて何かをできると考えるのは思い込み、思いあがりというべきだろう。専門医ですら難しいのだ。特に、自殺願望を目の前で語っている人、これを助けてあげなければならないのではないか? と、通常の良心で判断すると、自分と同じ目に遭う可能性がある。総じてこの数年で自分が遭ったのは、当の人から愚かしい狂態の数々で時と労力を大幅に削られまくり心労を重ねた末、濡れ衣で名誉毀損罪された。経験した事の数々は全て、実体験ではない。オンライン上での文通内での出来事だ。一線を引いていたので助かった。だが自分は感受性が特別に高い。それで十分すぎるほど傷ついた。もし現実にその女の望んでいた通り出会い行為でもしていようものなら、自分は心的衝撃で一生なんらかの障害を負っていたかもしれない。結局、現実に対しては冷静にどこまでもはっきりと一線を引くという常識が、悪意ある人物から命を守る結果になった。自分が大人だったから破滅せずに済んだのだ。事件の詳細は、恐らくかなり某大に渡るので、別の項目として独立させ、小説の様な形にまとめるかもしれない。プラトニックな或る悲劇の様なものになるかもしれないし、自分自身の実話としての色彩を抜いた方が、現代の或る狂った女が自分にとっても受け入れられる存在として人格化されるかもしれぬ。ここでは総論だけを記述する、抽象度を上げて自分にとって失敗を避ける知恵になる部分だけをひきださないと、物語の中身と混雑し、主題が曖昧になるからだ。以後おもな物語の方は別の文とする。代わりに教訓に必要な例示だけを叙述する。

 先ず自分は色々な関西人、ここでは特に関西女と接したが一人も例外なく相性悪かった。なぜそうなるかといえば、総じて関西地方の人々は、自分の属する文化圏――首都圏から東北圏、常磐圏――の平均値、もしくは、自分の基準から比べると遥かに性悪な人々である。当人達はそう気づいていないが確かにそうだ。巨視的にみると、自分が経験した事、特に自分を酷く傷つけたその奈良女の言動の全ては、国内の東西文化摩擦ではないかとも考えられる。関がなくなり、東海道の行き来が頻繁になり、西日本と東日本がオンラインでつながり、やりとりする様になると自分と同じ摩擦を無限に経験する機会が増えると思う。その女個人に、性格上の致命的落ち度があるのは明らかなので、そいつ個人にも原因がある。しかし一方でその女を抱え込んでいる奈良県とか、関西圏も、多かれ少なかれ似た様な原因を抱え込んでいる。先ずその女は極端に利己的であり、他人を他人とも思っていない。他人を利用価値としか感じていない。日本史の中では関西地方の人々が、特に奈良県や京都府の人々が、その種の極端な利己性を帯びていた事を示している。それが大和王朝や平安朝で、彼らは奈良や京都から中華思想に耽って、全国を自民族中心主義で差別しまくってきたのだ。今も全くこの態度は根っこで変わっていない。地の性格なのだろう。元が利己的な人が一箇所に似たもの同士で集まれば、その地域は中華思想、自民族中心主義を公称しだすに違いない。利己性とは別の言い方をすれば、単に「性格が悪い」のだ。またその理由は、そもそも他人の異なる立場を推測し、相手の立場を思いやり共感的に振舞う能力を欠いているという低知能さである。私の数年文通で接したその女は、正にこの利己的で性格が悪く思いやりの欠けた人物で、いわば日本史の記録に残る古代・中世的な関西人の一般類型にもあてはまっていた。自分はそれをそうなのだろうとかなり初めの頃に気づいたが、慎重に判断し、当人の中の利他的性質をひきだせないのかと試みていた。しかしこれは全く無駄な試みだ! 幾ら強調しても足りない。恐らく、明らかに利己性は程あれ遺伝している。鬱関係の性格遺伝子は見つかっているが、共感性に関わる部分についても或いはそうかもしれない。後天的に変えられる部分など限られている様だった。私は数年もかけその女の性悪を変えようとした。ピグに或る秋田の住職がいて、自分は以前、某京女関連で酷くトラウマになった濡れ衣を着せられ、それ以来、関西弁を聴くだけで頭の奥がずんとなって吐き気が数日とまらなくなったりするのだ、一体どうすればいいかと相談してみると、それはよくない、関西地方の人々の良い点をみいだせといわれた。それでこの場合も、奈良女だが、なんとか相手の中に良識のかけらをみいだそうと数年粘って努力したが、結局無駄で、ますます彼女本来の性悪加減が強化されまくっていくだけであり、さも異なる生物と接している様だった。ここから考えるとその住職――京都で修行した俗坊主――も現実味のない忠告したものだ。現実はこうだ。性悪どもは生まれつきそういった低知能さを遺伝しているので、つまり「馬鹿は死ななきゃ治らない」という諺の通り、急に性善的になる事は決してない。寧ろ、性悪どもにとって利己的に振舞うのはほぼ本能の様で、他人を悪し様に傷つけてなんとも感じないばかりか、当人は私利しかみない。そして自分はもう一つ重要な知見を得た。その奈良女は、親が中国地方から出てきたといっており、自分が心の価値の方が重要だと繰り返し説いたのに逆らって、また親に泣かれているにも拘らず、韓国人のまねをし、家出代金として親の金を分捕って、美容整形手術をした。その過程での彼女の心理的動きだ。思うにその女が整形手術をするに至る心的過程は、韓国人一般が美容整形手術をする時と、かなりの相似性があると考えられる。そもそも弥生系は遺伝的に朝鮮半島の人々と共通性があるし、実際に私もしくは私たち東日本の北東部に由来した遺伝的要素をもつ先住系の文化とは、全く価値観の違う考え方がある。その女が言っていた事として、「人は見た目だけ100%で判断される」と思いこんでおり、これを否定する根拠については当人の愚かさの余り全て無視もしくは再考の外に置いていた。いわゆる確証バイアスだ。
 韓国では親が勧めるとも聞くのと違ってその奈良人の親は娘の整形願望に涙を流し抵抗したらしい。しかしその女はこの親を思いやる事も全くなかった。逆に徹頭徹尾、親を侮辱し続けており、その底なしの不孝加減といったら自分が聴いていても気分がずっと悪かった程だ。つまり韓国の人々が『孝経』身体髪膚親に受くの節を守るつもりがないのは、この女の極端な浅はかさや利己性と同じ原因と考えられる。他のあらゆる面で、この女は特有の浅慮を発揮し、パパ活の前座やってみただの、家出してみただの(その上でオンライン上で僕を誘惑してみただの)、大学教授に酒によって抱きよせられてみた(その後、ふざけるなと脅迫してみた)だの、その場限りの行動ばかりする。つまり目先の事しか分からないのだ。そればかりではなく1、2年もすればその期間にあった事を忘れてしまう。自分と文通していた間に過去の話をボロボロと忘れてしまい、己のしていた全てを他人の事かと思っている。そうであれば、整形手術をしたなんて当人の中ですぐになくなってしまってもおかしくはない。これが彼女らの基本的心理だ。極端に思いやりのない性悪加減に基づく、目先の事しか分からない浅はかさ。これが、古代の時点から『孝経』で教わっているのに、儒教国にも拘らず、韓国やその整形芸能界の影響を受けている若い或る奈良女にみいだされた、行動原理である。わかってみればからくりは明らかで、すっきりと意味が通る。
「なぜ韓国の芸能人もしくは一般人もすぐに整形手術をするのか?」
単純に見た目をよくしてモテる為に、なんの深い考えもなくやっているのだろう。多分それと全く同じ心理をもつ人物を国内で観察でき自分にはわかった。韓国で儒学階級なんて日本の知識階級くらい数が少ない。韓国庶民は一般に孝を理解しない可能性がある。

 日本と韓国は大幅に運命が違った! しかし地政学的な原因だけとは自分には思えない。風習差が生じた原因は、恐らく個々の遺伝にもある筈だ。その奈良女と韓国文化の親和性に比べ、東日本でその様な不孝さや浅はかさが、関西人の大量移民してきている東京圏の一部を除けばまだ一般的ではないのと同じだ。
「親が情けなくて泣いていようが自分がモテる目的で、整形手術を親の金で敢行する」
この様な不孝の風習をもちこんできているのが、明らかに韓国芸能人、KPOP一般といえる。そして現にその奈良女はそうした。自分はその全工程に違和感しか感じなかったが、その奈良女は韓国での整形に憧れてすらいた。人の心を読み取る能力が生まれつき少ない。異なる他者の心理を推測したり、思いやったり、共感性にまつわる知能が低い。それ故、その奈良女や韓国人一般は、外観主義に容易に陥っていく。逆に、東日本のかなりの部分はまだ外観主義に毒されきっておらず、心の価値をよみとって個性を尊重していると思う。例えば、マツコという芸能人は東京で人気だ。我々はマツコを整形美女として尊んでいるわけではない。彼女の語る世評の本質が面白いから、個性として尊んでいるのだ(多分)。しかし韓国芸能界、KPOPにその様な個性をいきのこらせる余地はない。喜劇枠除けば整形込みの美男美女しか実在を認められない。東日本で一番関西化・韓国化している事が確かな東京都ですらそうなのだから、他の東日本一帯で、心の価値をよみとらない文化なんて少なくとも自分は一度も経験した事がない。しかしその奈良女は全く逆、外観主義でしか物を見れない。ある意味では、生まれつきの低共感性による脳障害みたいなものなのだ。奈良や京都は元々、渡来人こと朝鮮半島から入ってきた弥生系民族(秦氏、高麗氏など)が定着した移民地区だった。今も在日朝鮮人の割合が有意に高いが、総じて、日本の先住系である縄文人・アイヌ・うちなー(琉球人・沖縄人)とは過去の遺伝的系統が異なっている。今もその名残が、渡来系・先住系の地方ごとの類韓度に現われている。そうであれば、先住系にルーツをもつ東日本人(特に北東日本人)一般より、関西人の渡来系末裔の一部が、韓国側の文化に近い考え方をしがちとしても、系統だって不思議はない。現にその実例が、私がその奈良女の言動の全てにみた圧倒的違和感であった。その中でもこの整形をする時の心理的浅はかさだ。
 心の価値を、肉体の価値より高く見積もる。なぜならヒトがヒトたるゆえん、サルと異なるゆえんは、その心の方にあるからだ。新渡戸稲造『武士道』でも同じく語られている精神主義は、少なくとも韓国から関西圏、東京圏へ入ってきた整形外観主義に比べ、遥かに高貴な考え方、また個性の尊重だろうと私は思う。

 この奈良女の問題はこれだけに留まらず、恐らく生得的な一般知能の低さからくるのだろうが、些細な言葉尻を捉え誹謗してきたり、相手の意図(善意)を読み取らず自分の悪意で上書きしてきたり、性的嫌がらせ(セクハラ)概念を濫用して自分の気分次第で痴漢冤罪式に濡れ衣しまくるなど、大変たちが悪い。そもそも大学生といいつつ学業を怠る場面も甚だみられ、宿題を自分でやろうとせず、よろず私に手伝わせ、というか私に代わりにほぼやって貰い(少しくらい調べものの手間はかかるにしても私には簡単な課題ばかりだったが。なお私も一応学部生だが)、それに対しお礼も言わない。要は人格が破綻している。そこまで崩壊的な人格、或いは生得的な知能に重大な欠落がある状態で、人格障害などなんらかの精神障害者と公式認定もされず、アップアップと溺れながら生きているのだから、多少なりまともな人々との摩擦で、生が苦痛になっても仕方ないだろう。だから自分も同情してしまっていた。これが過ちだった。

「性的嫌がらせ」(sexual harassment)は、先ず相手が嫌がるだろう事を誰かが意図してやった場合に主にいう概念だ。しかしこれを略語にしたセクハラを、この奈良女は全く別の概念にしていた。いわば「自分が不快だと感じたら誰にでも着せてよい濡れ衣」にしているらしく、異常に乱発していた。
 痴漢冤罪をかけられた側はたまったものではない。しかしこの女と会話しているだけで、言葉尻を捉えるのと同様に、多少なり性的な要素が含まれている(例えば文脈上そうなってしまう部分、「抱く」という表現等)と大発狂で濡れ衣を着せてくる。成程それはその女に性嫌悪障害の気もあったのかもしれない。しかしこの女とくれば己の発情相手に関し(例えば偶像崇拝ぎみの速水もこみち)、全く逆に下品すぎる性的言動(イケメン連発など)を公然としまくってきてこちらをドン引きさせるなど、大人を馬鹿にしており、人を誑かせているとしか評せない異常人格の類だった。全て利己的で性悪な性格が原因だろう。

 この女の観察から自分が学び取った事の中には次の分類学の類がある。便宜的なものだが、後世のなにかの役に立つ可能性があるので記述しておく。

 或る女がセクハラ冤罪を連発する様になる原因は、次の様なものらしい。それは主としてフェミニストの発生理由と同じ原因がある。
 世の中の女を大雑把に分類すると、貞操観念の薄い順に、遊女とフェミニストに分類できる。また大抵の女はこれら両極端の中くらいに属し、仮にここでは貞女とする。女の多様性全体に対しこの時点では笑ってしまうほど雑な捌きだと思うが、以下に説明する事で、概略の為には幾らか納得できるかと思う。
 一般論として遊女は往々にして美しさをかねており(醜い遊女は商売になりづらい)、生まれながら見た目の良い女、即ち健康度の高い女の一部が、余りに自分が恋愛市場で引っ張りだこなので、そこで代金をとり出す。女優、タレントとかアイドルとかはそのうちで上品な部類であり、売春婦は下品な部類だ。対して恋愛市場で非常に需要が少ない、即ち往々にして特に健康度の低い醜女は、今日の先進国内の環境ではフェミニストになりがちだ。日本ではそこまでこの女版インセルみたいなのが多くないが、東大はじめ高学歴系には確かにいる。東大女一般は総じて男を知性で選別するので、一般恋愛市場では対象が少ない。ここで貞女とはこの両極のどちらにも属さない人々の総称で、いわば貞操観念がほぼ皆無なわけでも、男性差別なり性嫌悪じみた男性性一般への無条件攻撃をしだすほど過度なわけでもない。見た目も性格もこの意味では中庸であり、一般恋愛市場で家庭つきで常態的に繁殖しているのもこの部類の人々だ。
 つまりフェミニストが男性性嫌悪を病的な程度にしまくるとすれば、そもそもはっきりいってしまうと彼女らが生まれながらもてない反動形成、合理化の類だといってもよく、その様な考え方では数多の男を相手どらねばならない遊女をやる事はままならないし、男性一般に対して貞女になるのも難しいだろう。今日の過激派フェミニスト――必ずしも嘗ての女権論者ではない――の中にももてるのもいればそうでないのもいるだろう。或いは美女も混じっているかもしれない。しかし一般化するとその男性性嫌悪の根本原因は、彼女らが一般恋愛市場で需要が少ない、負け組だからと考えてもそこまで大幅な間違いはなさそうだ。

 そしてこの奈良女だが、自分が観察してきて思うにこのフェミニスト側に属する考え方を持っていた可能性がある。親の良妻賢母作りのしつけに従った(だが多分遺伝的に向いていないので功を奏していなかった)のもあるだろうが、それで性嫌悪なるものが生じ、更にそれが高じて反出生主義に至ったのだろう。
 セクハラ冤罪を連発する部類の人々は、特に自分の観察してきた限り、先ず間違いなくこれら3分類ではフェミニスト側に極端に多い! これは強調してもいい事だろうと思う。その逆に遊女側は寧ろ性的言動を進んでとったり、それをされるのを喜んだり、嫌がらせを好む人ばかりではないが被虐快楽派もいる。遊女の間では、「セクハラ」はしばしば官能性の一部くらいの受け取られ方をしている場合すらあり、成程、本気で嫌がらせを目的にしているものなら被虐快楽派を除けば決して好みはしないにしても、嗜虐快楽系の女というのもいるので、寧ろ進んで性感を味わう目的で遊びの一種で女が行っている場合もある。これらの事は、誰もが多少あれ経験的にそういうのもいるかもな、と知っているかもしれないが、言語化された試しがない。フェミニストの言動は公に政治性を帯びている一方、遊女のそれは通常、夜の街など社会の裏に隠されているからだ。貞女はこの中間にいてどちらからも多かれ少なかれ影響を受けている。
 フェミニストの一部は余りのもてなさに単に性嫌悪に陥って、遂には本能を抑圧しきって、性的官能の諸相を悉く侮蔑する様にすらなる。その行き着く果てが、僅かなりとも性的要素とみたら「セクハラ」扱いする冤罪乱発だ。経験的無知で、性に快楽の要素を認められない為、子供の頃のしつけのままなわけだ。貞女の場合、「セクハラ」は「誰にでも濡れ衣を着せていい公に濫用すべき権利」とは受け取られておらず、一般的にはだが、英語原義のまま「相手が意図し性的な嫌がらせをしてきた場合の、自分は望まない嗜虐快楽の被害」という意味で受け取られている。実恋愛で性の諸相を多少なりとも知っているからだ。しかし貞女でも遊女寄り派では、相手の意図如何にかかわらず、被虐快楽を官能性の一部として認める余地がより多く、フェミニスト寄り派ではその余地が少ない。
 例えば商売でなくツイッターで痴漢好き女などと称している遊女寄り貞女は前者。BBCオリエンタリズム記者化してのち伊藤詩織狂信貞女は後者。

 また、一人の女の中で遊女・貞女・フェミニスト面のいづれかが同時に混在し、場面ごとに使い分けられていたり、女の一生の中で立場が変化するといった事もあるので、これらの分類は飽くまで便宜的なものだが、カタカナ英語「セクハラ」が多義的な背景を理解するには、一応使えなくはないかと思う。

 そこでこの奈良女だが、根がフェミニスト的な性嫌悪障害ぎみなのに、遊女のもつ特徴――例えば外観だけで褒められチヤホヤされる――に憧れ見た目だけ整形した為、矛盾した存在となっていた。自分はその奈良女の見た目を、整形前に向こうからおかしい所いえとかいって送ってきた一枚二枚だかの写真(なくした)以外特に知らないが、彼女は自他へセクハラ冤罪の類は整形後も日常的に乱発していたし、当人も恐らく自分が性嫌悪障害だろうと認めていたにしても、遊女には到底なりきれていなかった。
 自分は「大抵の人達って心も大事な貞女だから。性嫌悪しすぎて他人の子供を憎悪とか、過度の生殖憎悪も異常だし。あなたの性嫌悪だの自称醜形障害だのは実際、精神科にいわれた通り精神疾患かもしれないし、僕にいえる事は限られているにしても、セクハラ定義も権利濫用にずれすぎだから」と説明したが、見た目をモーニング娘。の誰とかみたいにしたいだの、見た目が全てだの、その為のカネ分捕る目的で東京女がパパ活やってて羨ましいからまねるだの、奈良の田舎から神戸まで通って大阪経由でどんな影響受けてんだこいつとしかいえないのだが、関西圏での擦れ方が半端ない。でも説明が彼女へは凡そ何もかも無意味、あるいは誤読か悪解釈しかしないので無意義なのだ。フェミニスト的なものはそれで貫けば、元がミルの女権拡張論からはじまってるよう公共に意義を伴うともいえる。女性活躍が~とか過去の男のまねさせてるだけの欧米フェミニズムは陳腐な段階にすぎないが、それでも、女々しい男には害悪だが男優りの女達にとっては公益的と、功罪両面があるわけだ。が、この奈良女はフェミニストとしても貫かなかったし、今後も貫かないのだろうし、だからといって貞女になる目的があるわけでもなさそうで、何せ整形美女になりたいとしかいわない。心の価値なんて無意味だという。それならまともな相手と長期でつきあえないじゃんとしかいえないが、目先しかみえない。韓国の出生率は、なんと日本より低い。というか世界最低202位である(2018年、世銀調べ)。日本も183位だけど。整形遊女カルチャーをまねてたら日本最低の出生率な東京都、或いは韓国みたいになるのは必然だろう。顔だけ、心は無視。そんなの子育て相方に向いてる筈がない。フェミニスト的な恋愛憎悪が行き過ぎ、反出生主義や自殺願望の代わりに、整形美女になってもてまくり、遊びまくってやろう。これがその奈良女の基本姿勢であり、韓国女一般が芸能人みたいにそう考える傾向があるとしなければ、一体この世界最低の出生率を、他にどう複合要因で説明できるというのだろう。この意味では、その奈良女は現代韓国の生き写しみたいな奴であり、生まれつきもてまくる特別な美女(要はかなりの平均顔)でもなかろうに、整形でごまかし、遊女もどきの扱われ方して、調度、貞女くらいに落ち着けへんかなとか意味不明な愚か事を考えている。発想も性格も直せとしかいえないのだが。ナラとは朝鮮語で国の事、古代奈良人が自分らで朝鮮語を今でいうカタカナ英語の勢いで輸入しまくっていた一証である。しかし現にそこで生きているヒトが、いまだに朝鮮半島南部の人々とまるで似た考え方を進んでしたがるとは思いもしなかった。血は水より濃い。千年後も朝鮮と似ているかもしれない。自分は遂にその奈良女に呆れ果ててしまった。まだ詳細は書いてないにしても、僕がその女の度重なる相談なんだかよくわからん愚痴なんだかを聞かされた時間とその苦痛を合計したら、とうに宇宙全体を暗い雲が埋め尽くしてしまう。それほど不愉快だったし、成程それも僕からしたら彼女の好んで使う濡れ衣系ではない、本物の「セクハラ」でしかなかった。愚か者の本性から来る日常のあらゆる過ち、すなわち単に愚にもつかない痴話を無限に聴かされる側は、賢明であればあるほど多大なストレスを受ける。下手に親身になって忠告しようものなら大発狂してくる本物の馬鹿なので、適当に流そうものなら言葉尻を捉えて後からネチネチと誹謗の具にしてくる。つまりは性悪とは根っからそういうものだと学ぶ機会になったとしかいえない。

 我々は幾ら善意とはいえ、「メンヘラ構ってちゃん」かつ「性悪」の類と事前に考えられる相手を下手に助けようとしてはいけないのだ。それには自己犠牲を無限にしなければならない。恐らく終生、特に報いなどないまま痛めつけられ続けるだろう。自分はこの数年確かにそういう目に遭った。

 朝鮮半島の人々が世界一人口を減らしている――そしてその韓国芸能から与えられる文化的な影響下で、自らも整形で美女になりすまし、遊女かそのもどき生活をして済ましている関西人なり東京人なりも増えているかもしれない。ゆえ続いて日本の出生率も韓国とワースト2を争う様になるのは時間の問題だろう。
 もしこの流れが禍々しい「韓風」に過ぎない、亡国の道であると考えるなら、とるべき方針は一つしかない。整形芸能を嫌悪し、孝を再興し、あまつさえ心の価値を何にも増して重んじる事だ。元々日本人は、古代の時点からそうしてきた。その証拠はイワナガとコノハナノサクヤヒメの神話に残っている。

 因みにその奈良女を僕が受け入れていたか、いなかったかでいうと、基本的に全面的にうけいれていた、つまりは相手がいうままにさせておいて、悩み相談の相手になり、特にああしろこうしろといわず延々甘えさせていたので問題があった。性悪という奴らへはこの真逆の扱い方がふさわしいのだ。
 全くうけいれて放任しておけば凡そ全てが巧くいくのは、性善性が高い人達である。自動的に善に向かう本性がある様に動くから、明らかなミス除けばなんも忠告も勧告もしなくていいくらいだ。
 だが性悪は放置すればするほど物事を悪くするし、善意の相手に濡れ衣を着せ傷つけまくって反省も一切しない。性悪の相手を扱うには、鬼将軍の様にするのが正しい。これが間違いない人事上の真理だ。裏切りを厳罰し、日常的にも監視の目を緩めず、少しでも過ちがあれば全て酷過ぎるほど命令して直させる。直らなかったら徹底して責め続ける。無論程度問題でもあるが、これでも性悪な人は進んで悪事をしたがるのだ。
 我々は国を統治するにあたっても、現地の民族性を考慮するべきだ。関西地方では信賞必罰の鬼将軍タイプが最も優れた成果を挙げるだろうし、東北地方では寛容神タイプが最も良い結果に繋がるだろう。この両者は度合いだが、それでも確かに性善的な人に厳格ではいけないし、性悪的な人に寛大でもいけない。