2020年8月17日

愚かな国は亡び、賢い国が栄える

近現代日本の学校教育では、哲学、知恵の友愛という西洋の全学問の根底にある精神を無視した。そして代わりに神道国体への妄信的崇拝をあてた。こうして日本人一般は社畜(会社員)か国畜(公務員)となり、自分の頭で考える能力を失った。批判的思考というより対話術、議論なるものが一切できない。
 その種の風土で、自ら考える能力を持つ様になる者は、結局、強い知性を生まれ持った人に過ぎない。これは必ずしも高いIQではない。自ら考えられないクイズマニアが数多いるし、そういう人々が中央官庁から安倍晋三の不正を手伝っている。思考力が低いとは操作され易いという事だ。愚民国家が天皇の目的。

 カント「哲学は学べない、精々哲学的に考える事が学べるだけ」とは、思想史科を哲学科と称している日本の大学では誰にも理解できない文言である。彼らは文化の働きとしての対話術を知らないし、それを輸入するのに失敗した。脳の容量の殆どを、擬似AIクイズ(科挙風受験勉強)に費やす彼らは無能なのだ。無能に有能になれといったり、愚者に賢者になれといったりし、実際にそれら正反対の性質をもつ人々のいれかえが可能だと信じているなら、完全に馬鹿という他ない。無能を量産する国の教育体制は単に愚かなので、その悪しき集団、国が亡び去る事、或いは世の悪例として示される事こそ合目的といえる。
 もし日本国民一般が愚かで、自ら考える事がろくにできない無能であろうとも、地球の人々は賢く、自ら考えられる集団を次々形成し、より優れた体制を築き上げるだろう。或る国が愚かすぎて亡び、そこに費やされていた資源がより賢い、特により善い集団に移るのは、星全体の経済化というべきだ。