京都生育なので、芸術文化的(そもそも芸術的を文化的という人って頭おかしいと思ってるんだが僕は)な環境優位性みたいなのを東京に向け自文化中心・中華思想的に主張する人って、安直にみて自分はかなりの割合みたんだけども、そういう人のいってる点って10割がた鼻持ちならないスノッブ流儀だった。
第一に、芸術はどこにでもあり、文化なら余計そうである。なのに「京都だから」他の文化圏、特に東京圏より優位だってのは、何から何まで理屈が通っていない。じゃあその偉がりは何か? 要はエスノセントリズム。他、何も入ってない。純粋無雑な偏見と差別意識である。なのに上位ぶるのでたちが悪い。
しいていうと相当歪んだ中世の仏像類だの、まぁ日本仏教の中でもかなりたちの悪い物が或る程度在る、とはいえるのだろう。あと公家が贅沢三昧で作った庭の類。でもそれって農民を搾取し浪費してた徒花の類で、現実的に見てどれも悪趣味だともいえる。詩仙堂とかもある種、凝りすぎとも感じられた。
日本仏教自体がかなりたちが悪い。それは中国経由でかなりスノビズムに染まった紛い物を輸入した学者がいたから、ってだけではなく、途中で権力と絡んで変質したからだ。それを革新したのが親鸞だったといえるにしても、茨城の現場の方は原点回帰で、豪勢な金箔でゴテゴテ仏像なんざ作ってもないのだ。
庭に関しても、僕が知る限り偕楽園の本園だの西山荘だのと、桂離宮や修学院を比較し、明らかに前者の方が質が高い。これは間違いないことだ。趣味のよしあしって確かにあって、下品なものは下品であって一見して分かる。京都の誇ってる世界遺産がどうとか完全に虚栄でしかない。いいものみれば分かる。
君がまた茨城・常陸亜周辺理論で、それまた自文化中心主義じゃないの、といわれるかもしれないが、それが違うのである。単によいものとよくないものがある。京都人て当人らが思うほどよいものもってない。ちゃんと日本中でいい物を探してうろちょろしたらすぐ分かる話。自慢してるやつって雑魚なのだ。
東京は美術的じゃないと。或る京都育ちの評論家がまたもいつもの中華思想で上から目線でツイートしたのをさっき見たからこれ書いてるんだが、まぁ僕の36年の人生で5億回以上はみただろうせりふである。そんくらい、京都ってところは靴屋の塊なので、ものすっげぇ頻度で謎見下しまくってくるもんだ。
或るパリ人にこれいったら、へぇ~京都って有名なのにそうなんだ、って返答され、こっちでいうヴェルサイユ? でもそんなでもないけど、みたいにいわれた。
日本に住んでて社交して、京都市民関係者の恐ろしい高慢に辟易しない人って1人でもいるだろうか? 先ず無理なレベル。物すげえ俗物度だ。
ま、京都府くらいの単位だと、そこまで真性俗物だけではない。何人か友達になった人達いたが、確かにどことなく上から目線でプライド高い感じが漂う、若干嫌味まぜてくるうざさ感とか、陰険陰湿な悪口を深い喜びの顔でいってくるとかいつものイケズ癖は例外なくあった気がするものの、程度の問題だ。
が、京都市でも洛中とされる上京区に近い所でミーム感染した人達ほど、その種の真性俗物味に完成度がみられる。先ずその最たる著名人が梅棹忠夫だった事は『京都嫌い』著者に詳述されたので省くが、僕が直接接した範囲でも普通に想像つかないほどの嫌味とか、差別を面と向かっていってくる人数多いた。
いきなりわけのわからない偏見でやれぼっとん便所のドイナカw(相手の建築の水洗がTOTOかINAXかなど一切確かめる前提にない)とか、逆に裏返ってオレこそ田舎がいいんだといいつ三流私大歴史教授うのみにして小説史観で慶喜をディスりまくってくる紛い物俗物感とか、ヤンキーやろ? とか東京級馬鹿。
今書いたのは京都市の同時代の庶民の言動だけど、正直、民度(出たこの言葉)でいったら中世と何も変わってないのだろうと思わされた。
清少納言は『枕草子』(能因本293段「僧都の君の~」)で御所関連の火事で御所へ逃げ込んだ庶民を滅多微塵に差別し小ばかにし追い返しドヤるわけだが、あれから京にゃなんの進歩もないのである。
モギケンのネットに色々ばらまいてる文物のうち、僕が読んでてかなり面白かった記述として、昔の彼は埼玉出身なのでタモリがダ埼玉ネタ捏造したせいで、そこらの下衆都民からムダに差別されるのに怒り心頭だったが、段々と東京に染まりだし、最終的にはダサいダサいと自分まで東京中華を主張しだした。
もう少し詳しく書くと、『クオリア日記』の記述だと、モギケンは福岡人タモリの馬鹿に扇動された都民にいわれなく差別されるのはまだしも、埼玉人自身がその差別を内面化してしまい、「でもダ埼玉なんかじゃないですよね」とか言い出すのが気にいらなかった様にみえる。ではどこで変わってしまったか。
最近コロナ禍の間あげてた無人講義動画の中で、どうもモギケンのダサ優劣感にまつわる口癖の原点は、彼が子供の頃ハワイでアメリカ女だかに「きゃーなにあれ」みたいにからかわれた時の心の傷である。恐らく東洋の小人が変な格好で金髪キャピキャピ娘みたいなのを漫画的に避けて笑われたのであろう(YouTube動画『茂木健一郎(脳科学者)「今日から"わたし"を好きになるために」高校生対象特別授業』2020年4月10日、JPIC YOUTH。19:06頃~)。
村上春樹みたいにその種の小人感を内面化しないまま、要はうぬぼれで反省力がないままつけあがっちゃう方が一層たちが悪いんだが、その種の小人意識もまた漱石的にうまくない内面を形成する。漱石の場合は笑われたんじゃなくショーウィンドーだかに写ってた自分を自分で、ロンドンの小人だと自覚した。
でモギケンは「ダサ劣等感」というものがいまだに心の古傷を作っており、裏を返せばやたらと洗練に執念を燃やしている。それだけならいい。彼は高校から東京、大学以後はイギリスにそまりだしたので、THE東京中華思想やTHE大英帝国主義とその洗練志向が段々と混じって、遂に日本的田舎を蔑視に至った。
同『クオリア日記』だと市立美術館でウォーホルのあといわきの寿司屋だかで大黒様の宝船みて、この落差は何かと考えたらしい。要は独自進化の日本版を段々と「田舎くせえよ!」とかディスる内面的土壌ができてきた。これで、京都人モドキみたいな、東京文化人独特の自文化中心主義に染まっていくのだ。
ここでモギケンの例をだしたのは、自称天皇のカルトな奈良人が引っ越してきてからという物、東京中華思想という中国や京都のそれのプチ版が濛々と発生しているからだ。
こないだコロナ疎開うぜーってなってたとき「東京差別だ!」とか都民コメンテーターがいいだし、全国ツイ民が全力反撃していた。
東京中華思想の元祖が明治天皇なのは恐らく確かであろう。彼がくる前まで、江戸って京阪に対しかなり下手に出てた、いわゆる周辺だったのである。徳川家の現当主も「高文化的な物は一貫して京からやってくるものだった」みたく『目の眼』インタビューで述懐してたが、それが江戸の意識だったのだろう。
明治、大正、昭和、平成、で令和天皇。全5人も東京生育となったので3代目の定義によると、この人らも昭和から江戸っ子って事になるだろうが、そしたら今度は周りの馬鹿が自分まで教祖になったつもりで周りを見下しだすことこの上ない。だから嫌われまくっても当人達が自慢ばかりするくらいダニクル的である。
現京都市長の門川大作は、相変わらず中世流の京都中華思想の文化版(サブカルいれた芸術か芸能の事らしい)の信奉者であり、というか市の世界文化自由都市宣言の考え方に縛られてるともいえようが、皇族クレという。政治利用っしょ、とか一切ききながし、クレクレという。またも首都ぶりたいのである。
こういう道理で、西なら京都人、東なら東京人といういけ好かない俗物野郎、芸者女郎どもが、今日もあなたを見かけるや日常会話の端々に差別意識を忍ばせ、「でも田舎でしょ?」とか「地方ではねw」とか、素で差別してくるのである。そりゃ、気分は大変悪い。門地差別は違憲だわ、中身が全偏見である。