2020年5月6日

あの色

東日本大震災があった時、自分は家族と市民体育館へ避難した。途中で高校の運動場にも避難したが、ここで書こうとしているのは市民体育館の方だ。

 そこへは車で行ったのだが、今思い出すのは、避難した時の世界の、特に駐車場辺りでみた世界の色であり、その独特の青白い暗さだ。
 自分はその時みた青い暗さを、他の場所、他の場面で一度も見たことがない。震度5ほどの異様な余震が数分ごとに続く中、家でみたテレビでは豚の様な政治家が「安全だ」と嘯いていたが、現実にはすぐ隣の市にある原発が爆発していた。
 震災直後からその一時避難先に行くまでの記述はここでは省く。

 なぜこれを記述しようと思ったかだが、世界が終わる時にも、恐らく人々は似た様な色を見るのではないかと思うからである。自分はそれを既に一度みた。世界が終わる時、人は脳裏から色を見るのだと思う。世界の終了は突然やってくるが、確かに、確実に終わる様な色をしている。
 自分が見た色を形容すると、蛍光灯へ何度も青い透明な色を塗って、それを150年後に暗い体育倉庫の隅で、肝試しにきていた仲間からはぐれた中学校1年生くらいの自分が、真夜中に偶然、突然点けたら、恐らく見えるだろう様な色味である。
 その色は自分が駐車場に停められた車から出て、避難先の体育館の柔道(剣道?)場へ行くまでの世界の一面に塗られていた。
 市民体育館やそこに付属してあるプールは、自分が子供の頃からあり、何度もそこで泳いだ。小学生の頃もそこで授業で泳ぐので皆で小学校から歩いて行ったし、友達とも行った。
 しかし、自分がその時みた世界の色は、完全にその避難時にしか見えない色で、他の場面でその場所に塗られた事はない。絵画的に再現できるかも分からない、不安を通り越して、世界が終わる時にだけ特定の人に見える色である。

 それから世界はどう変わったか?

 東京人達は相変わらず外道で、原発を推進して金儲けに耽っていた。愚か者は何も変わらない。未来永劫変わるまい。だが自分は全く違う人間になった。何しろ、自分は一度世界の終焉を見たのだ。人の愚かさは無限としても、あの色は二度と見ることがないかもしれない。