2019年12月27日

西洋人のアジア差別は相手にせず

自分が今からこの国最高の知識人(笑)として今後千年の日本国の方針を記すので膝を正して聴くがいい。もしくはぼけっと読み飛ばすか無視するがいい。なんでもいい。
 まず自分が会った西洋人どもは、根底的に日本をなめ腐っていたのが事実である。それだけではない。日本人を野蛮人扱いしておった。

 BBCワールドで日本がどんな扱いうけてるかをつぶさに観察したらすぐわかる。要はオリエンタリズムの色眼鏡で、三流国として見下している。これが正真正銘の真実であり、それだけでなくかれらはほかのアジア諸国も同様に下に見ている。
 これはイギリスだけでなく西洋全般がそうといってもいい。
 勿論北欧入れてである。イタリア人には差別されたことない。トルコまで来ると、アジア色なのでそうでもなかった。で、中でも一番わが国民を差別していたのが、間違いない事実としてイギリス人であった。
「お前なんてイギリス来ても意味ない、中国人?(冷笑)」「お前の恋人強姦してやる(プゲラ)」
こんなのを現実に(ネットで)直接言われた。僕はとても我慢強いのでその場でもこの場でも怒りを抑えてきたけれども、代わりに次に書く構想で復讐するつもりである。

 なぜ彼らイギリス人があれだけ傲慢なのかなら、答えは戦争に勝ったからとしか言い様がない。自分が優越してると勘違いしてるのだ。
 すなわち、西洋全般もだけども相変わらず日本を見下してくるのは根底には第二次大戦の趨勢がある。
 例えば国内でも東京都民だの南関東人、京都人等が田舎者だなんだのと我々一般日本人を頭ごなしに差別しまくってくる経験は頻繁にある。これも自分は大変我慢強いので直接復讐はまだしていない。
 しかし考えてもみればわかる話として、自分より馬鹿なやつらに差別されるのは道理があわない。こっちは誰も差別してないのだから、差別するやつが馬鹿なのは明らかなのだが、連中はダニクル効果宜しく反省の余地は皆無である。すなわち力で叩き潰すしか解決しようもないのだ。これは議論の余地がない。
 確かに「愚者とかかわるな」(byブッダ)式にガン無視し、差別心のかけらもない普通の人達と仲良くしていたほうがはるかにましである。だから力で叩き潰すのは次善の策であり、しかもわざわざ下賎の徒と同列におりていくのも億劫なのが事実である。だから自分はこれまで一々復讐を先送りしていたのだ。

 では西洋人ども(中でもアジア蔑視してるイギリス人ども)に鉄槌下すにはどうすればいいか。知恵を絞った結果、次の戦略が最もよいであろう。

 西洋人といえどもかなりの部類はわが国と変わらず馬鹿である(賢者の国をみたことがない)。漱石がいうとおりイギリスともなれば尚更で民度は立派でない。
 そこに大量に移民がきておる。中東から。自分らで東インド会社がどうだの植民地侵略しておったので、英語が広まってしまって逆流してんだから自業自得じゃん、プゲラというのが本音であるが、我々彼らに日本語圏を叩き潰された人間としてはこれを利用すればいい。
 敵を使って敵を叩けばこっちは無傷。まあ中東は敵じゃないが、そんで西洋も別に敵でもねえが(というか人種差別だのまことに情けないみみっちい話でしかなく、心魂に於いて自分以下の雑魚は相手にするかいがない)、昔スコットランド商人のグラバーは薩長に武器横流しして東日本人と内乱させ自分だけ暴利をむさぼっておった。因果応報というべし。

 わが国民はなにをすればよいのですか、と尋ねられたら答えよう。誰も尋ねないけども。僕しか尋ねないけども。今後千年は西洋諸国を相手にせず、でいいのである。なぜなら日本を差別してくるやつと一々喧嘩なんて同次元におちるだけだからである。同じ事は東京だの京都だのの差別主義者にもいえる。
 わが国は、西洋諸国、わけてもイギリスの差別主義を反面教師にし、この列島にあっていかなる人種、いかなる国々の人達をも等しく尊重するのが肝要なり。いやそれだけではない。国内から一切の差別をみずからの心で追放するのが、すなわち一流国の証と考えるべきなのだ。これは言うほど簡単ではない。
 人は偏見をもつ。これは脳のしくみであり、子供が黄色いハチに刺されたら黄色いものは全部怖がる。単純思考は、こうしてモノをできるだけひとくくりにして分類したがる癖がある。したがって自分の考えは全部偏見かも、逆からみないと何もわからないぞと疑ってかからないと、必ずや差別に陥ってしまう。

 なぜ西洋人らが、アジア人に差別的偏見をもちやすいか。それはアジアは大変広く、西は少なくともトルコあたりから東は日本(日立がまさに日のいずる最果てかもしれん)まで全部入るのであり、そこには天才から馬鹿まで凄い多様性があるのに、社畜募集してたら相当変なのばっかきてしまったのである。
 相当変なのというか、はっきりいっちゃうと、イスラム圏のかたがたは喜捨(進んで行う寄付)を前提にする敬虔なる信仰をもっているのに、西洋人どもは堕落したキリスト教のもとで資本主義にかぶれているので大体は貧しい人を進んで助けようとしない。これで喧嘩おきないわけがない。当然テロになる。
 転じてわが国はどうでしょう。世界一人助けしません(世界寄付指数10版)。こんなの西洋より状況はひどい。寄付も進んでしない文化なら、移民募して日本文化に従えとかいっても、そんな冷たい社会に従いたい人類はろくでなししかいない。「もっと貧しい人を助けようよ! 進んで」となって当然なのだ。
 裏を返せば、西洋人一般は驕りが激しく、オスマントルコの再来かみたいに先祖がえりしてしまった。その発狂がブレグジットでありあの金髪頭(一瞬で名前でてこないんですが、何とか首相。古代ギリシア叙事詩『イーリアス』だかを朗読したスノッブっぽい、ロンドンの貴婦人からガーディアンのインタビューでぼろ雑巾扱いされてた人)である。

 日本は寧ろイスラム教徒の喜捨を利用し、もっと進んで貧しい人を助ける社会に自文化を変えていくべき。これが賢者の国のありかたというべきだろう。
 どう考えてもAの人が大金持ちでBの人が極貧で困ってるのに助けないのは、それは天皇レベルの極悪人というべきである。天皇は都内のホームレスを一度たりとも自分がむさぼった国税で助けたことがあるのだろうか。中国朝鮮から関西経由で入ってきた自称中華皇帝はわかったから。象徴なら模範を示すべき。
 わたしはみました。カトリックの教皇が。受刑者だかの足を洗ってあげる画像を。天皇はなにをしているのであるか。殺人自慢か。飛鳥時代からヤクザでしかない。東は蝦夷だ西は熊襲だ、全国民差別しまくって大威張り。政府ぐるみで死刑実行、原爆アニメに感動。どんだけ自分ちの蛮行に反省力がないのか。
 まあ天皇が馬鹿だからこそ武士がでてきたんだから、それはしょうがない。世襲なんてそんなもんだ。
 今の時代でいえば国民側がしっかりしてたらなんとかなる。特に知識人。つまり僕。だからいってるのだ。差別するやつは馬鹿だと。自分の差別心をなくすので十分だろう。アジア蔑視の西洋人なぞ相手にせずである。

(西洋人差別も同じくらいばかげているので、結局、他人を見下すやつがろくでもないのである。他人のある面がろくでもなかろうと別の面ではそうでもないかもしれん。ということは他人は安易になめられないというわけで、確かにアホっぽいのはいるけれども、人格主義を基にし誰も見下すべきではない)