2019年12月24日

村上春樹について

村上春樹とはなんだったのかについて書く。
 自分は15だか16の頃、いわきの高校にいっていて学校帰りだかに川又書店なる場所に行き、棚を適当にみていた。あるいは地元のはまや書店。で、どういうわけか(タイトルしかわからなかったに違いないのに)春樹の文庫本を手にとって買いだした。
 最初になに買ったかだが、多分『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だった気がする。しかもあれだけ沢山の本があるのになぜ春樹を選んだかだが、タイトルセンスがRPG的世界観をもっていた自分と大して違わなかったからかもしれない。今の言い方なら中二病感に溢れているからだろう。
 その後、高校のあいだ渉猟的に全作品読んだが、村上龍とか『限りなく透明に近いブルー』読んだ瞬間これダメだなと即判断し以後手をつけなかった(サッカーの中田との対談はよんだ)。春樹は、僕が高校の頃はまだ今見たくメジャーでなく、当時は最新刊がオウム取材頃、文学的にサブカル扱いされていた。今もハードコアからはそうだろう。

 で、高校の授業は丸きりすっぽかし教科書に隠して春樹しか読んでいなかったのは世界広しといえど自分ひとりか、最大で数人くらいしかいない可能性があり、今にして考えても自分は本当に、隠れ大胆不敵な人間と思う。普通の人だったら授業完全無視だけでも怖い筈が自分は100%何も聴いていなかった。
 自分のこのブログを読んでいる人は、過去自分がぱらぱら書いた逸話から少しはわかるかもしれないが、僕はアカデミズムなる権威の世界を本当にごみみたいなもんだと思っていたし今も思っている。なぜならそういう連中が作った学校が馬鹿みたいで、地獄じみており、無価値と子供のころ悟ったからだ。
 自分はその時点から大人という大人は誰も信じておらず、今も信じていないがそれどころか全ての会社はいうまでもなく社会、国、その他の人間組織を何も信じていなかった。代わりに個々で信用できそうな人に注目し、集中的にその人から学ぶという方法をとる。つまり春樹は当時メンターだったのだ。
(授業きいてなかったんかい、と、この箇所読んだ人に自分が不良か落ちこぼれだったとおもわれるかもしれないので補足しておくと、それはまったく違う。自分は受験勉強的な科学の先生とか文科省を完全無視して、興味あることだけ全力自習していたのだから。
 どういうことかというと、自分は公立の小中学校、あるいは幼稚園にいた連中がひどすぎる――暴力ダイスキのサルみたいだ――と感じ、教師も含めて学校なる制度を見限っていた。義務教育は終わったんだからあとは自分で全て決めると心に秘して、完全に直感に従って大事そうなのだけ自力で学んでいたわけだ。
 授業中になんで春樹小説など網羅的に読み、当然だけど全作品よんでしまったかなら、当時の自分は、今もだけどおもに芸術に関心があった。その頃から誰にいわれるでもなく自分は読書家道に入り、20年後この瞬間まで恐らく1日も本を読まなかった日はない。つまり授業は無視したが独学しまくった)
 あるとき2ch文学板に春樹当人みたいなのがきて、自分にメールしてきたことがあった。まあ常識的に考えれば当人以外と考えるのが自然だが、自分は相当焦ってなんかを返事したが、その後も掲示板で当該人物とやりとりしていた感じ、最終的に相手が発狂し荒らしみたいになってしまい、物別れになった。
 あれが本物だったかそれ以外だったかは藪の中にしても、幸運にも、その自分の人生で最も暗い影を落としている一事件を経て、自分は春樹を客観的かつ批評的にみれる様になった。いわば荒らしが春樹を演じてくれた(又は当人が半匿名の荒らしになってくれた)お陰で、メンターから独立できたわけだ。
 当時、春樹は『アフターダーク』のあとで『1Q84』を出版していた。自分は前者の時点でまだ春樹は最重要な小説家だと思っていた。掲示板でもその旨で好評したが(小説手法の面で『マグノリア』や『ドラクエ4』みたく書割風マルチストーリーを神目線で書くのは新しい)、後者出版の前に物別れになった。
 2ch文学板では自分の実名になりすました荒らしら(最初は春樹当人風を演じていた固定ハンドルが主導していた)が、想像しえないほど品性下劣なかきこみを連発し、自分に汚名を着せまくってきていた。名誉毀損の裁判は今ほど簡単ではなかった事もあり、親や警察へ相談の上、事態の悪化を放置していた。
 途中では春樹が覚せい剤をやっているという怪情報だの、自分の携帯へ脅迫電話がかかってくるだの(昔サイトで公開してたのが悪用されたらしい。小説家をとりまくやくざな社会そのものに呆れてしまってしばらく読書ができなくなった)、色々ろくでもない荒らしの活動がみられたが、そこに大震災がきた。

 東日本大震災の最中もネットの様子みていたら、はじめ相変わらずその荒らしらは自分の実名になりすましながら名誉毀損だの虚偽情報を流布し汚名をきせるだのをやりまくっていたが、他の2chねらーが遂にそいつに呆れはて(しかも周りはなりすましだと思っていない)、荒らし自体も震災で自然に消えた。
 まあこの描写そのもの、2ch文学板ずっと見てない人にはなんのことやらわからんだろうし、しらないでいいとも思うが、大体、自分が18から28歳くらいまでの間にその掲示板で体験したことであり、少なくとも自分の人間観にごく大きな影響を与えた。それ以前、自分は人が善良なものと思っていたのである。
 このあともたまに眺めにいってみていたところ、荒らしをしていた主犯格といえるだろうやつが「(僕の実名つまりこのアカウント名だけど)になりすましていたのは、出来心だった」とか「なぜやってたのかわからない」とか自白の書き込みをしており、周りの下衆がなぜか同情しついでに僕を誹謗していた。
 日本人の相当数といってもいいひとたちの本性が、それほど邪悪だとしったのは2chがあってこそなのである意味では感謝しなければならないのだろうが、その代償もまた大きい。春樹に関していえばその後、『田崎つくる』とか『騎士団長殺し』を出していたけど『1Q84』の大衆的狂騒がピークかなと思う。
 自分はこの『1Q84』頃の2ch文学板界隈にいた小説業界・出版関係者らの運動をみていて、これは本当に近づいてはいけない世界だと確信し(上記の被害状況みてりゃそりゃそうだろうけど)、というより小説家と呼ばれるよくみればモラルもへったくれもない嘘つき達を大いに軽蔑し、以後ピグに移行した。
(ピグでその後なにがあったか自分のブログにアメーバピグ史シリーズとして残してあり、特に「政治広場史」「続アメーバピグ史」を読めば大略がわかる。ピグがおわるとほぼ同時にツイッターに移行したということである)

 これらが自分の人生に春樹がかかわっている全接点だが、余りいい相性ではない。
 春樹の小説そのものも、その後色んな世界文学を読み進めていく中で、また翻って読んでみると、決して質の高い部類ではないと判断されざるをえないのが事実ではないかと思う。当人もたびたび作中人物に、時の淘汰を経てない作品は読むに値しないといわせているが、全く同じ事が彼当人にもあてはまる。
 要するに、自分にとって春樹はサブカルだった。よく今の子供がまんがアニメラノベゲームに夢中になるみたいに、自分は小説とりわけ春樹のそれに相当はまっていた。勿論優れた点もあって、文体の読み易さはかなりあるほうだ。特に『スプートニクの恋人』を文体コンシャスと当人がいってたが、そうだ。
 いわゆる哲学の部類に入る対話編(プラトン『国家』とか)、釈迦『ダンマパダ』レベルの散文詩を考えると、春樹の諸作品は実に内容が薄い。モギケンが昔の日記で「鼻毛が見えている」「喫茶店のマスターの文学」など辛辣に評していたのにノーベル賞ネタはじまってすっかり手の平返してるのは興味深い。
(後世にわかるよう書くと、ノーベル賞ネタとは大体、『1Q84』がやたら売れてから、東京のテレビ局が毎年、春樹ファンを喫茶店に並べてノーベル文学賞の発表ある日にうわ~今年もダメだ~といわせる、実に恥ずかしいイベントをはじめた。落選するたびアンチは痛快がるが出版屋の宣伝が真の目的だろう)

 より詳しく小説を論じると、形式面だとマジックリアリズムが多く、交互に2つの筋が交錯するパターンも多い。前者はサブカルでよく使われるし、カフカやマルケスみたいな元祖もいて(広義で生霊だした式部も)もう目新しくないし、後者はゲームならドラクエ4みたいなマルチストーリーが既にあった。
 彼の全作品で最も前衛的といえるのは主に2つで、前述『アフターダーク』と処女作『風の歌を聴け』だ。前者は映画の脚本ならありえる書き方を、三人称小説化しているのが興味深い。後者は断片形式で物語が時系列的にいれかわるのが面白いが、どちらも内容は大して品性がよくない。寧ろ不良っぽい。
 よく春樹批評でアンチからいわれるが、彼の根本限界は下品さである。これは処女作からして神戸の不良を美化してて、よく売れた本ほどますます不埒な傾向があり、救いようがない。通俗作家とみなされスウェーデンアカデミーも眉を顰めるのはしょうがない。悪い方にアメリカかぶれた神戸系大磯人である。全面的にべた褒めしまくってて僕がドン引きしまくった内田樹の狂った神戸つながりのから、際物でありつつ実に鋭く春樹的かっこつけのマンネリ化したはずし方を巧妙な視点からえぐりだしたドリーのなど、当然漱石に比べりゃ少ないがまあまあ色んな批評があったが、全体として構う方が悪い。文学として。
 例えば『使いみちのない風景』みたいな小品は全然ましなほうだろう。記憶に残ってる限りそこまで酷い箇所なく、全体として人生にバカンス的空白をつくってくれる。小説なら一番まじめなのが『神の子どもたちはみな踊る』(短編単体)か。語り口が軽すぎオウム事件でこれしか学べないのかといわれてた。
 つまりだ、サブカル小説家みたいなのに皆真剣になりすぎ。遠藤周作『沈黙』なんかと比べてご覧なさい。春樹なんかで真面目になる方がばかだなとおもえるから。『ねじまき鳥クロニクル』の深さにみえて全然深くないテーマを振り返ってどうですか。そういう雰囲気文学があと何年読み継がれるでしょう。
 春樹は総合小説が目標だと再三いっていた。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が模範だと。しかしポップカルチャーに接近しまくり金儲け、あんな糞真面目な作品どこにもみたらない春樹の執筆能力というか人格的欠点(最初の編集者にも人間に問題あるといわれたらしい)にあって、到底無理な話だ。
 大体同じくらいの年齢だろうとおぼわしきカズオイシグロにノーベル賞で先越されたのも然るべきというか、僕はイシグロだと『夜想曲集』はすばらしいと思ったものの、他は冗長なだけの駄作と判断したが、とかく真面目に小説書いてるのだけは認められる。それに比べ春樹はずっと不道徳な性描写が多すぎ。
(イシグロの長編はどれもテーマをわかりやすく書けていない。ぶっちゃけ小説は春樹よりはるかに下手というほかない。なぜそれがノーベルかなら、格調はあるのだ。大学教授の集まりが公然と賞賛するには、流石に官能小説よりずっと低俗な描写が再三でてくる代物だと世間体に困ると思う。春樹の限界だ。『夜想曲集』に限っては、長くなるほどドラマツルギー、起承転結みたいな筋がぶっ壊れなにがいいたいかわからなくなるというイシグロの長期記憶的欠点がまったくみられない。各編が相当面白い筋、かつバリエーションを並べ、現代西洋社会の多角的切り取りからある旅情を喚起させる優れた試みだ)

 ま、日本では川端が敗戦から立ち直る途中にとったせいで有名な賞というだけで、正直、芸術家としては同時代的な権威づけゲーム以外どんな要素もないに等しかった大江すらとれてしまうくらいなので、春樹がもらえようがもらえまいが読者はどうでもいいのだが、ネタとしては彼の欠点を露わにしてくれる。
 特に、小説というジャンルは商業出版、ことさら都内の業界力学が9割以上を占める要素で、サブカルもサブカル、実にろくなもんじゃない。漱石も「一日も文壇に立つべからず」と書いてた初期の堕落が、今も残存どころじゃなく、ますます度合いを深めている。又吉デビューなど完全マーケティングである。
 今後とも、自分はこれまで同様、東京の出版業界には寸分なりも接したくない。2chで彼らのありさまを観察してる間に、自分と同世代の品性下劣極まりない女性作家らに大金だの名誉だのを与えにあたえまくっていた連中なので、呆れ果ててものもいえないほど下衆なやつらだと、まあ天敵と思っているのだ。
 実は文学の王道ジャンルって詩なのである。これは古今東西まず例外なく(『千一夜物語』以前に『リグヴェーダ』あり)、わが国でも『源氏物語』以前に『万葉集』あり。近代小説(リアリズム系)が花袋らによって日本版自然主義として導入されてから、私小説を経て春樹の中間小説になってるだけである。
 つまり、カントの言語芸術二分類でいう語りの芸術は、詩の芸術に対し飽くまでサブジャンルなのが正統的文学観というべきである。大まかに散文と韻文とすると、ボブディラン以前に作詞家が小説家より目立ってないのは漱石あたりが原因なわけで、寧ろこの点、詩がメインジャンルな韓国のが正統的だろう。
 この理屈でいくと、僕が同年代の商業大衆小説屋どもの筆舌尽くせぬ下賎さにうんざりもがっかりもしきって、荒野にほうりだされたライオンのようただ一人歩み、「月明かり歩く分には明るいや」と最初の句を詠んでから誰にも読まれぬ詩などブログに毎日1万3000記事近く書き続けたのは、塞翁が馬だった。
 もう散逸して消えたが、今から15年くらい前、自分は実は2chにいた春樹らしきのに小説家にどうすればなれるか聴いて、相手が(だいぶ下品に)「性について書け」云々といったので(通俗小説的には真理かもしれぬ)、最初それに近いトライをしてみていた。まあ僕が書いたのでただの結婚のお話なんだが。
 で、実際、近現代の小説家らしいリアリズムの作品を1つか2つか書いて、これは本当にくだらねーなと気づき(絵でも浪人1年目でそれに気づきすぐ芸大いくのやめた)、最近まで中篇の実験的前衛小説を毎年ブログにだしていた。今はウェブ書店にまとめてあるが、いずれ後世の誰かが読むかもしれない。

 結論書くと、僕の人生からみた春樹という人の全言行は、少なくとも10代後半から数年それなりの影響をもったのだが、別の小説家(例えば漱石とか芥川とか)と比べても古典的正格に達しているものは少なく、割とすぐ卒業してしまった。僕の後からも大勢来て夢中になっていた。
 人は成長過程で、なんらかの本に出会い、それなりに影響される。文字が読め本なる形が残っていた時代はそうだった。15~6才の自分が、今はなき地元書店であの青い背表紙の新潮文庫をたまたま手に取ったので、とんでもない事件に巻き込まれ、反発しやがて自分の理想とする前衛小説を世に残すに至った。
 この意味で、春樹という人はあの狭苦しい港町の古本屋で海兵の捨てたペーパーバックから始まり、さらに狭苦しい高田馬場で映画館に入り浸ってひたすらチャラり、挙句の果てバーテンやってながらオザケンを呼び、やがて数十年後に僕の目の前に現れたあの文庫本を残す事になる。伝説といえば伝説だ。
 この伝説は伝染性がある。僕がどんな風にカバー外すと縞々模様の『羊をめぐる冒険』文庫を読んでたかなら、高校美術部の前の絵が沢山つめこまれた小さな倉庫部屋におかれた古いソファーに、朝から授業さぼってこもってねっころがって読んでいたのである。小さなすりガラス窓から漏れる午前の光の中で。
 ほんで、その15年後とかに自分はその本を書いた人(かその成りすましがさらに自分の実名になりすました意味不明な2chねらー荒らし)に反発し、恐らくジョイスや漱石以外誰もこんなの褒めないだろうという文体をぶっ壊しまくる文章を、この部屋の隣の縁側でバイオで書いていた。さも予定されてた様に。

 春樹もさるものというべきか、まあ成りすましの人だったのかもしれないが、実は2ch上で、僕が彼の文体を模倣しているともいえるリアリズムっぽいのを書いていた頃、「そろそろ自立してもいいんじゃない?」といった。多分、彼は作家は独創的たるべきといいたかったのだろうが、ふざけた言い方だった。
 よく考えると、大変な嫌がらせをして、自分が春樹の追随者になるのを彼は防止したのかもしれない。それは彼のオリジナリティを守る縄張り行動だったのかもしれないし、獅子が谷から弟子もどきをつきおとす行動だったのかもしれないし、これらどちらでもなくただの別人の荒らしだったのかもしれない。

 これで自分が春樹について書くのはおわりかもしれないが、彼は虚構の作家であり、今では下火の2chで作り話じみた現象を捏造する方が、現実にしりあいになるより彼の本性に似合っていた。虚実皮膜の間でしか語りえない何かがある、と式部がいう通り、自分は何かしら世代バトンを渡されたに等しいので。