鈴木雄介ブログ
2019年9月9日
俗受けと普遍性
どの時代にも、俗受けしている偽作家、疑似商業的なサロン作家はいるものだ。彼らは彼ら自身の宣伝行為がおこなえなくなると途端に火が消える。死後は専門家ですら名をおぼえていない。だが、生前には最大限の偽装をして、誰よりもアーティストぶっている。
芸術家が普遍性を気にする必要は全く無い。ある作品が本質的に重要ならそれは同時に普遍的なのだから。
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