2019年8月9日

神道カルトの扱い方

3日前に書いた『絵画の品位』という小論、自分で読み返して、結論が間違いだと分かった。
 細かい分析はいいのだが、皇室は皮肉だろうが婉曲表現だろうが気に入らなければ平気で弾圧するからだ。彼らはやくざの大親分でしかない。3日前の自分は状況的に論じすぎている。

 皇室を信じる、という態度は、完全に間違いだ。それをして明治維新を興した水戸尊皇志士の墓の列がある回天神社に、一度たりとも皇族が慰霊したことはない。天皇なんてそんなものなのだ。要するに古代奈良のやくざが洗脳を使って民草をごみの様に扱い、最高位を維持する邪教祖である。
 なぜ婉曲表現なら弾圧可能性が低いかといえば、それをやったら表現弾圧として皇室が不利になってしまうからで、間接的に信者や権力を使って邪魔するくらいなら平気でやってくる筈だ。紫式部が弾圧受けなかったのはほぼ宮内職員の一人だった上に、陰の方で当時の腐女子職員に受けてたからに過ぎない。
 そもそも平安期は一夫一妻主義が存在しなかった上に、純愛の概念がキリスト教の洗礼を受けていなかった段階なので、光源氏が浮気三昧、不倫三昧、近親相姦三昧、児童性愛三昧していようが、絶対権力を握っていた藤原家に近い皇太子キャラの淫行として、宮内の猿的女宮にキャアキャアいわれていたのだ。平安朝というか京都時代の皇族のその後をみてたら、ほぼ女官に手をつけて事実婚にもちこみ、その子を跡継ぎにするという、今日の目でみればかなり野蛮な一夫多妻が常套手段だった。つまりは皇族男子による強姦って裁かれなかったし、本居宣長のもののあわれ論みたいに寧ろ賞美されてさえいたのだ。これがいつまで続いていた慣行かといえばたった150年前まで現実にあった話なのだから、皇族と最下等の町人に強姦罪なんてほぼ存在していなかったのである。それがあるとしても貧乏下級武士が一夫一妻に近かったので妻を取られたら相手を切り捨て御免可能だったくらいの限られた感じだったのだ。
 生態的同位種というか、封建領主制は洋の東西で似ていたので、偶然の一致で武士と騎士は一夫一妻主義にある程度近い封建道徳をもっていた。まあ厳密には武士の方は貧乏だからそうなっていただけで騎士の方はキリスト教の建前があったからだろうけど。そして純愛主義の中に封建道徳が流れ込み、一夫一妻制度が成立し、後それがアメリカの影響などで崩れてロマンチックラブ・イデオロギーになる。
 要は皇族の婚姻劇なんて実は最近の欧米風俗の表面的な真似で、元々やくざな不倫・強姦もどきの配偶法を1200年もくりかえしていた一族にすぎない。

 話を戻すと、つまり皇族が民間の反天表現に直接介入してこないのは、表現の自由によって訴訟リスクがあるからで、本来は日帝がやってた様な大弾圧を加え兼ねない筈なのだ。たった74年だか前に天皇家は確かに国民全員の表現規制をしていて、それどころか疑わしきを罰しまくり、特別高等警察なるゲシュタポ級の傀儡組織を使ってひたすら首狩りみたいな冤罪事件を連打していたのだ。冤罪というか当時の法体系では疑わしいだけで一方的に逮捕され、実刑になっていたのである。
 そう考えると宮内記者会を頂点とした記者クラブなる全国網を持つ報道カルテルがいかに天皇タブーに触れないよう異様な報道管制を敷いているか本当に恐るべき構造だ。前近代的なんて次元ではなく特高の名残なので、検閲も平気でやっている。だから少女像だけとりあげ御影焼きに触れない。
 小沢一郎氏が冤罪にかけられたのも、鳩山由紀夫内閣が潰されたのも、はっきりいって宮内記者会による陰謀だろう。まあその背後に平成天皇(現上皇)がいたのも間違いないというか、はじめの彼による習近平接受拒否がそもそも傲慢すぎる形式主義だったのは実際会ったのからも明らかであろう。宮内職員のせいにして、いつもの無答責で、上皇明仁氏がほぼ直接国政介入した歴史の汚点を一般右翼は隠すのだろうが、国民主権や憲法解釈からいったら当時、小沢氏のいっていた内閣責任の範囲に公的接受はあたるので、宮内庁長官とつるみ明仁氏が冤罪攻撃をしかけた主体といっても間違いないと思う。
 この明仁氏の恣意は強烈に国政を駄目にした。その後の展開をみてたら安倍独裁政の直接原因が明仁氏による冤罪攻撃だったのが間違いない。少なくとも震災があったとしても菅直人政権に変わっていなかったろうし、小沢氏も権力を保ち、今ほど自由派が弾圧され薩長寡頭政に退化していなかった筈だ。

 愛知県知事・大村氏は空気を読み御影損壊の展示を早期撤回した「官僚的な優等生」だったが、スラップ訴訟を得意とする大阪府知事・吉村氏を、大阪民度への偏見から下手に挑発し、事を荒立ててしまっている。元々大村氏が模範解答じみた表現自由無制限論を述べているのも、天皇を間接的に挑発している。大村氏はこの種の人情に鈍感というか、天皇と名乗るガチやくざ中のやくざ、邪教祖中の邪教祖をなめすぎているのが大炎上の原因だ。彼ら一族は大化の改新から問答無用で1374年も大量殺人をくりかえしてきた暴力団長で、今では神道なる自己神格化の狂信的な殺人宗教勢力も国家単位で大規模にもっている。
 要は表現自由の盾なんて天皇の手先からしたら自殺テロ一発で突き崩せるものなのは日本史上で「義士」扱いされてる尊皇派を掘り起こせば一瞬で分かる。その種の狂信的カルト列島だからこそ原爆投下されても万歳三唱し、人間魚雷で勝ち目のない戦に特攻していたのである。

 自分のエッセイを修正するとしたら、「神道カルトはどんな手でも使ってくると心得て、あらゆる戦術を駆使し、皇室表現を扱え」ということ。婉曲的なら脅迫されないとかそんな話ではない。歴代天皇は不都合なら相手を日本史から普通に抹殺していたのである。表現自由とか全く関係ない。