2019年8月6日

絵画の品位

「表現の不自由展・その後」で企図されたのは、
1.大浦信行『遠近を抱えて』1982-1983年、パース保持
2.嶋田美子『焼かれるべき絵』1993年、エッチング
3.小泉明郎『空気#1』2016年、画布にアクリル
の3作品で、戦後天皇制の表現が、日帝「御真影」扱いから進んでどう可能かを問う試みだった。
 2019年4月8日に収録された「【東浩紀×津田大介】あいちトリエンナーレと5.0」によると、津田大介氏と東浩紀氏は少なくとも政治的意図でこの試みを企画したと明言している。憲法21条表現の自由という芸術の括弧入れによる建前はこの時点で破綻し、内実は天皇制批判だった。
 個別作品でいえば、大浦信行の『遠近を抱えて』が富山県議会、地元新聞、右翼団体の抗議などを受けた富山県立近代美術館により、作品が売却され、図録470冊が焼却処分された事件があったわけだが、今回の展覧会ではこの検閲の顛末が彼により象徴的に映像化されていた。話題の昭和天皇を燃やす映像だ。
 対して、嶋田美子の『焼かれるべき絵』を含む展示は、文脈としては関連記録と共に、御影を直接燃やした図像を掲げることで、富山県による検閲事件を皮肉ったものといえる。私はこれが聖像破壊の意味を含むと考えたが、いわば信教自由に抵触する宗教批判の表現可能性を探求したものともいいかえられる。
 小泉明郎の『空気#1』は、現代皇室写真から人物を絵の具で除去したアクリルオンフォト(修正写真)の手法を使った作品といえるが、わざと幽かに影を残すことで、皇室の「空虚な中心」(バルト『表徴の帝国』)としての矛盾した存在、ベネディクト『菊と刀』でいう菊人形性を明喩化したものといえる。
 これらの作品群は、少なくとも民間での展覧会では大して話題になっていなかった。内容にふみこんでこない芸術音痴な愛知県を利用した津田氏が、国際展の一部へわざと潜り込ませることで意図的に炎上させ、彼の戦後思想・美術史上の挑戦を兼ね、天皇制批判による左派思想喧伝の場にしたのが現実だろう。上述映像内で東氏はわざとしな(しな)を作り、演技的に憂慮を装っているが、その前後の言動からも分かるとおり津田氏を実行役又は友人として思想史上の反天表現検閲事件を予想しつつ企てていたのは明らかである(より正確にいうと、当対談内で東氏は、津田氏が反天表現の為あいちトリエンナーレ2019なる行政展を利用しようとしていると知りつつ、進んで止めようとしなかった。悪ふざけする中学生の様な幼稚な演技をしながらからかいぎみに疑義し、右翼・神道信者らから睨まれるのを形式的に回避しつつ、認容した)。つまり津田氏は炎上可能性の認識が事前にあった(法律用語でいう悪意だった)のだ。それどころか商業的報道文法であるスキャンダリズムをアートのそれに重ねたといえるが、津田氏自身が会見で振り返っていたよう同時期に日韓貿易問題があったので炎上の火の手が大きくなりすぎた。
 
 カオスラウンジ代表の黒瀬陽平氏は、この展覧会前に、ゲンロン新芸術校の主任講師として、あいちトリエンナーレ2019に同校生の出展が多いと指摘されていた。
つまり利権の癒着を疑義されたわけだ。このとき彼は津田氏が「若手」一般として同校生を択ぶのはそこまで不自然ではない、と間接擁護していた。
 事件前後、黒瀬氏は「圧力、脅迫といった卑劣な悪」*1「信じがたいほどに卑劣で残酷な悪」*2などの辛辣な言い方で、彼の中でも事前に予想されていた市民からの疑問やクレーム*3が、暴力を想起させる炎上という形になったのを理由に*4、矢面に立った津田氏を擁護した*5

*1
*2, *4
*3
 (上記ツイート内でいうコメント)<「情報社会の情念-クリエイティブの条件を問う」などの著書がある美術批評家・黒瀬陽平さんの話> 公立美術館では、ほとんど前例がない美術展。だが規制にもいろんなレベルがあり、すべてを「表現の自由」でくくるのは、危険な面もある。規制された作品を集めただけでは、スキャンダリズムと変わらない。公共施設や公金を投じた事業である以上、市民の疑問やクレームに答える義務が発生する。作者や主催者が美術としての論理や価値をしっかり示すことができれば、成功したと言えるだろう。――東京新聞2019年7月31日朝刊「<くらしデモクラシー>あいちトリエンナーレ あすから「不自由展」 「政治性」で規制の作品」
*5
この黒瀬氏による言い方の中にあるのは、2つの側面と思う。
1.ゲンロン界隈でお家芸となっているプロレス批評での利権折半(峰打ちで真剣に相手の論を批判しないまま、ブロック癖で実質イエスマンの利権組合を維持・促進する言論操作)
2.「悪」を断定的・独善的に用い津田氏らのアートテロ隠蔽
 黒瀬氏はゲンロンの内部者なので、津田氏や東氏らと共に事実上、アートテロ(ここでは反天表現含む実質のゲリラアート)のスキャンダリズムを事前認識できていたのにもかかわらず、一種のお仲間プロレス批評空間で大して本気で扱っていなかったわけだ。彼の思想面で天皇制への考察が足りていなかった。

 津田氏が日韓貿易問題を理由に炎上した(時期論)と会見等で言い訳していたが、これは上記映像によれば本心でないかもしれない。典型的な菊タブーによる作品撤去を富山県に続き愛知県もやったというだけの話である。
 茂木健一郎氏は、津田氏・東氏と友人関係がある人物といえるが、やはりこの点でツイッター上ではお茶を濁した様な言い方で、菊タブーに触れるのを不自然なほどに避け、検閲理由を「国際世論」つまり英米史観、戦勝国史観でいう少女像のみに矮小化していた。が検閲の本質は菊タブーなのが過去の事例だ。

 ところで私は2年前、地元の市美展(公募展)で或る実験をした。菊タブーを逆から侵したらどうなるか試したのだ。つまり皇室を多かれ少なかれ偶像として美化する表現なら、行政展は容認するか、賞から落とすか試したのだ。そしたら普通に受賞した。即ち皇室を貶めない表現なら行政検閲されないらしい。菊タブーは、都内マスコミの根源にある、宮内記者会なる戦前から続く日本最大の検閲機関にして皇室と癒着した全記者クラブの核によって、報道管制として敷かれている。だが私の『佳子内親王』なる絵は、茨城新聞社長賞を得た。
佳子内親王
2017年
画布に油彩
53 × 45.5 cm
作家蔵
2017年(平成29年) 第34回北茨城市美術文芸展覧会 洋画部門 茨城新聞社長賞
(近代の茨城県美術は、水戸藩士の子として典型的な尊皇論者であるところの大観の富士シリーズ、あるいは五浦派で彼と友誼のあった木村武山『徳川邸行幸』*6など、どちらかといえばだが前衛的なのと同時に国粋色の伝統がある。その延長上に描き提出した体なので受賞も納得できるといえばそうなのだが)
これは茨城新聞社なり北茨城市は、肯定的にみえる皇室表現なら賞美する証拠が戦後もできたのと同時に、菊タブーにみえるものは本当はいわゆるタブーではなく、単に皇室を、水戸学的に敬慕する類のものなら普通にできると示したのである。考えてみて欲しいのだが、人として当たり前の話ではないか?
「誰かを貶める表現はよくない。だが賞美する表現なら規制されない」
事が公的性質をもつ皇室だけに問題は実はもっと複雑で、公務員への指摘と違って皇室の落ち度は直接公募美術で指摘できないとなってしまい、そこで行政展における否定表現のタブーはあり続けるが、少なくとも婉曲的なら可なわけだ。
 私個人は『佳子内親王』という絵に、実際には偶像(アイドル)化した皇族への皮肉な目線もこめていて、聖像を美化して描くマリア像みたいなものとして背景のざらついたインパスト含めできるだけ二次元化した(幻想性を虚像と共存させた)のも皇室解釈を現代的にしたのだが、展示規制されなかった。
 要するに、中世京都で紫式部が『源氏物語』に於いて、当時の天皇制(皇室政治)がもっていた退廃性を暴露していたとも解釈できる表現をしていたのに、寧ろ賞美されたのはその皮肉が十分に婉曲的だったからと私は思う。いわば一定より上品にみえる批判なら、真意や解釈の余地に気づかなかったからかもしれないが、皇室は弾圧しなかったわけだ。

 私が今述べたことはとても微妙な所なので、美術論・芸術論としてある種の日本なりの伝統を語っているが分かる人は少ないかもしれない。いいかえれば、菊タブーにみえるものは芸術の次元では下品さへの嫌悪の類に過ぎないのである。表現規制、検閲と津田氏らは騒ぐが、彼の問題はそこにあるのではない。
 礼節(英語でいうcourtesy、宮廷風の思いやり)の点で、きちんと一定以上の品位を保っていれば、たとえ少々皮肉な内容でも、皇室や彼らの元に集う宮内記者、右派、その他の神道信者だって悪戯に怒ったりしないと信じよう。なぜなら我々は文明人であって人類が誇る芸術文化の一流国たるべきなのだから。
 この世には慇懃無礼というものがある。最大に強められた宮廷風の皮肉がそれになるわけだが、今も京都では公家らから流れ出たこの風儀が残っていわゆるイケズになっている。幾ら婉曲表現を使った風刺といっても京都人級になるともう外部者には分からない。だからここにも中庸の程度があると私は思うが。

続編「神道カルトの扱い方」