2019年8月14日

芸術は亜流文化による商売ではない

芸術はなにもできない。
 芸術は人を救わない。
 芸術は人を偶像崇拝に引き入れ、駄目にする。
 芸術に希望を見た者は、単に妄想症に魅せられている。
 だから芸術を信じるべきでは全然ない。それは宗教ではない(モンドリアンは新造形主義教の中で死んだが、彼の生涯が模範といえようか?)。

 そこらで生まれきたちょっとした美人が、芸能界に引き込まれ、諸々の化粧を施され芸妓として歌い踊る。そして彼らは自分をアーティストといいだす。勿論私はこういう連中を真正の芸術家とは然程思わないが、ポップアーティストとは須らくその種の芸者なのだ。芸大・画廊と芸能事務所。五十歩百歩。
 ウォーホルが書いていた、運動選手がアーティストの代わりになっている云々。人気とりだけならユーチューバーの方がよほど有名人なのだから、芸者的芸術家、芸能人もどき似非作家は根本的に道を誤っている。クリエイターだのインフルエンサーだの横文字ぶって創造者きどりし、アートを通俗化した下衆。
 全く無名、ネット投稿サイトの片隅で殆ど数人にしかみられていない、凡俗と間違われ死ぬ、半匿名の詩人。純粋芸術の存在意義などその程度のものだ、昔も今もこの点に変わりなどない。それは絶望と表裏一体で、要は全ての武器を剥奪された或る人間が最小の道具だけで社会という敵意に反抗する手段だ。

 同人誌を書いている品性下劣な絵師連中は、私小説作家がやっていた日本的自然主義の仕業を亜流文化たる漫画様式で再現している風にみえる。彼らをいよいよ無視できない日本政府が、恐ろしく野卑な淫行だの猟奇的な児童の性搾取だのを子供向けアニメキャラに演じさせているのを援助するのはなぜなのか。日本政府、特に京都文化庁はいよいよ源氏物語次元に退行し気が狂っているのに違いない。そしてその狂態ぶりは国連やら国際社会の良心の放火による、義憤の大炎上という末路を伴うに違いない。一切近づかないべきだ。日本政府と名乗る犯罪幇助衆にも、京都にも。東京都の犯罪幇助施設ビッグサイトにも。
 同人誌のエロ漫画にいいね連打している外人がどんな連中なのか想像してみるがいい。連中が馬鹿なのは当然ながら最も関わってはいけない類の、いってみれば最下等の品性の持ち主であろう。当然そこにあるのは精神異常に近い過度の抑圧、日本女性への偏見や、性に対する犯罪的で歪んだ欲求でしかない。
 今日のアートシーンはコミュニケーションに飢えている人達を結びつける、社会ゲームとしての商売だとリヒターは1990年10月24日のノートに書いている。そしてそれはそもそも芸術とも殆ど無関係と。これがクールジャパンとか亜流文化の全域にあてはまるのは全く疑いがない事実だ。
 日本政府は、実質的に、村上隆に騙されたのである。

 死ぬほど体に悪そうな蛙の卵もどき混じりの砂糖水を、高いかねを払って(親に払わせて)嬉しそうに飲みまくる愚劣な東京都民の若害。そんな猿みたいな遺伝子が原発依存でスマホゲームをやり、いなかに負担をおしつけ、死んだ方がいい様な軽薄極まりない一生を送る。なるほど醜悪な都会の縮図だ。
 大抵の精神年齢が中央値以上の若者は、そうでなくとも平均よりよい趣味を持つ保護者の元で育っている子供は、飛び級できない下らない日本の教育組織のせいで無理やり、幼稚な亜流文化に合わせようとしているに過ぎない。それがいかに吐き気がするほど俗悪な代物でも、愚劣な同級生からはみ出ない為に。

 悪徳を移し合う疫病の集まり、悪趣味の集合体、俗悪な偶像崇拝の衆愚。そんな最悪級の犯罪者より悪質な性犯罪漫画のオタクが73万人も、炎天下で猥褻物を売り買いする東京都という地獄がいつ神の怒りに触れ、溶岩で消し飛ばされてもなんの疑問も湧かない。MOABか水爆が落ちても自業自得と感じる。俗悪な都市文化を上位と言い繕っている堕落しきった俗物は、一体何を根拠にそう思えていたのか全く分からない。どこをどう見間違えるとそうなるのか、数学の分からない人が何を分からないといっているか分からないのと同じ風にしか見えない。東京湾でくらしているともうそこがどぶと思えないのだろう。