久しぶりにツイッターの通知というのをつけてみたら、とんでもなくたちの悪い2ch的衆愚らしきのがまたも匿名で悪意極まりない暴言三昧しているのを発見し、物凄く精神的ショック受けた。改めて、日本国って終わってるんだなと自覚した。ツイッターの使い方1つとっても酷過ぎる。民度が低すぎるのだ。日本国が没落するのは規定路線なのだろう。国民一人ひとりの質、特に道徳性が低すぎるからだ。議論の質は低いなんてものじゃなく、そもそも議論できない人しかみたことがない。誹謗マニアや自画自賛、差別主義者の匿名衆愚は腐るほどみるが。尊敬すべきでない人達が成功したら逆に世界史の悪例だ。
インターネット上のSNSで自殺したいといっている若者を数人みつけ、私は善意から彼らを助けようと思った。しかしよく彼らの事情を見聞きしていくと、私は彼らが「死んだ方がいい(つまりその方が人類一般に公益と思える)」様な、極めて暗愚かつ悪徳まみれの人達と発見していった。これが実態なのだ。
小泉・安倍政権は新自由主義を導入し、国民全体を二極化した。いわゆる勝ち組、負け組という二分法が流行し始めたのもその頃だ。弱肉強食を当然視し、ヒルズ族となり豪遊するためひたすら拝金と匿名での弱者迫害に耽る、それが平成期の日本人達だった。一言でいえば醜悪な時代だった。
なぜ「死んだ方がいい」様な、いってみれば悪徳に塗れた堕落した若者が増えたのか。そしてなぜ実際に彼らが自殺するのか? 個々の事情は様々だったが、総じて文化資本の貧困化が一つの原因の様にみえた。いわゆる教養主義に青春を投じる余裕がなくなり、学歴を就職手形に矮小化し捉える様な傾向だ。日本人的な「匿名卑怯者文化」は2chでもツイッターでも同様で、「恥の文化」論の延長で彼らは自らが世間から責められない限り、まず一切、罪悪感を覚えないのである。だから匿名で犯罪より犯罪的な悪業を積み重ねるのだが、宗教心や良心が全くないので、群れて蛮行をし恥じることがない悪魔になる。匿名卑怯者文化は、若者の堕落と自殺志向(反出生主義的、退廃的、厭世的思想傾向)、拝金主義、弱肉強食、二極化などと同時に国内で起きている現象で、総じて日本が本格的な没落期に入った証拠になると思われる。いわゆる一億総中流のよい部分が次々解体され、中身だった醜い屋台骨が露出している。
安倍政権が明らかに悪政三昧しているのに、それをまるでヒトラーや昭和天皇を崇める様に狂信する衆愚は、簡単にいうと亡国の徒である。そしてなぜ彼らが滅びを目指す様になったかだが、彼らには道徳が欠けているのだ。哲学する知能がないし、自ら考えたり、議論もろくにできない(仮にやらせても酷い結論に達する。なぜなら倫理の知識はいうまでもなく一般教養がなさすぎる)ので、独裁者に支配される。
若者の堕落の中には、学力低下、あるいはそもそも反知性主義が含まれている。その反知性主義の中には学歴信仰というエセ知性主義も含まれる。彼らは就職手形となる有名大学の肩書きにしか学の価値(正確には受験技術)を認めないので、いうまでもなく哲学や教養など全く意に介さず、道徳を科学主義に基づき侮蔑している。アイン・ランドの理想郷が日本である。特にゆとり世代以下は、成金ユーチューバーを素で模範と幼児から自己洗脳しているので、拝金生活を理想にしている。つまりそこにあるのは金儲けのため俗受けする情報商材を売り、経費で贅沢三昧する成り上がり東京都民になりたがる純粋な下衆根性だけである。
ではそういう国で、一体何が期待できるというのか。他人から金を貪ることしか頭にない若者、それは若害というべきだろうが、彼らネットポルノ(アダルトビデオ)に洗脳され、淫行したがる下衆女だらけのゆとり世代に何を再教育できるというのか? 恐らく亡国以外のどんな未来もこないだろう。
自殺したがっている若者を「助けよう」とはなんだったのか。彼らは自殺したがっていたのだから、その通りにすべきだったのではないか。実際彼らの生活実態や、精神の全てを根本まで遡っても、「他人を貪りたい」「他人を貶めたい」「他人より贅沢三昧したい」という悪意ある利己心しか出てこなかった。堕落した自称先進国の没落。ありうべき未来だ。いや未来どころか現状だ。少なくとも来世紀、日本が先進国と呼ばれていることはないであろう。徳川家広氏の著書『なぜ日本経済が21世紀をリードするのか』で語られている日本の地位の維持、それは来ないと私はみる。国民一般が賎しすぎるからだ。
しかし希望が全くないわけではない。それは個人の単位では、当然ながら優れた人物がいるに違いないから。寧ろ二極化は、その種の個人をますます伸ばす方向に進むし、ゆとり教育の本旨も個性を伸ばす目的だったのだからそうなるのは当然だ。圧倒的偉人と圧倒的衆愚にはっきり分かれる。これが令和期だ。全世界で尊敬され、崇拝される個人が日本人として複数出ると私は予言する。勿論私もその中で随一の人物になるため全精力を費やしてきた。世界史に日本人が不可欠の偉人として登場するのは私を緒とし、わが業績に続く人々がこの国から次々出現するきっかけになるであろう。これは圧倒的努力差だ。
日本人全体とか、日本国全体とかに期待は一切できないし、それは組織規模が大きければ大きいほど激しく没落するという意味で、全体が大企業病にかかっているからだ。比喩ではなく現実に大企業も同じ目にあい、激しく地に叩きつけられ、跡形もなく惨めな姿を晒す結果になる。衆愚は所詮衆愚なのだ。