卑しい人に親切にしたり、彼らを相手取るのは完全に過ちだ。なぜならそこには下衆根性しかないからだ。性善な人はつい善意で啓蒙を行いがちになるが、これが全く悪い結果をもたらすばかりというのが卑人への親切の場合だ。
相手の尊卑を見分けることは善行のため第一に必要な心構えである。卑人は救えない。勿論そこに啓蒙など成立しない。教化や説教も彼らを根本的に、少しも改善しない。寧ろ啓蒙すればするほど彼らは反発し、より悪い結果が出るだろう。
啓蒙思想家は最大の過ちとして、知性の分化をそれ自体のままにしておこうとせず、自分と似た知能をふやそうとした。この方向は単なる単一文化のおしつけにつながるだけだった。