2019年5月21日

大正デモクラシーは寡頭政治をしていた薩長藩閥や皇族ら旧華族に弾圧された

(なぜ日本では民主主義が芽生えなかったのか、というツイートへ)
大正デモクラシーを薩長藩閥(明治寡頭政治)が皇室共々弾圧しただけ。民衆の権力闘争が、薩長藩閥を主とした明治新政府勢力(旧華族及び皇族の寡頭政治)に負けたから、天皇制ファシズムが継続発展した。つまり民衆が力負けしたに過ぎない。
 国連軍(旧連合国軍)が天皇政府を暴力で存続不能にしたので、皇室は保身の為に妥協し民衆政治(democracyが民主主義と訳されている)を採用した。そして天皇統治(君主政治)と民衆政治は対立するものなので、皇室はイギリス王室をモデルに象徴天皇制に納まることで地位を維持しやり過ごそうとした。
 神武天皇とされる弥生民族が外国(弥生時代のことなのでこの外国は中国とほぼ同定できる)から移民してくる以前、各地の先住日本人らは民衆政治(多数政治、共和政、democracy)をとっており身分差がなかったことが縄文遺跡の埋葬跡から分かる。要するに天皇一味に民衆が洗脳されているだけ。