2019年5月21日

武家一般は男女分業だったが決して男尊女卑ではなかった

(「女は三歩下がって着いていけ」が男尊女卑に使われてきたとするネット記事へ)
女は三歩下がって着いていくみたいなのは、寧ろ武家の女性自身が、武士の男性に比べ力のない生まれつきの性別の差を省みて、夫の仕事を内助の功で支えようとした事実から出てきた武家の女性による武家の女性の為の共通の観念で、後から『女大学』等で補強された信念だと思われる。この意味で「男女差別に使われてきた」とするのは、確かに町人の世界ではそういう解釈になってしまうかもしれないが、それは農工商の世界では男女の性別に由来する生まれつきの力差が、近代的武器登場以前の戦闘階級(戦国時代等でのそれ)より小さく男女がほぼ同じ比率で働けたからだと思われる。
 新渡戸『武士道』によれば、武士階級の間で家庭における女性の地位は最高のもので、家庭の主として武士の男性より権力をもっていたし、家庭の主として最高度に尊敬されていたという。これが相当正しいとすれば、つまり武家は男女分業体制になっていたわけで、現代商人(会社員、労働者)で共働きが基本になっているからといって、江戸時代当時、武家が男尊女卑だったとはいえない。