2019年4月26日

ツイッターは人間嫌いの触媒

ツイッターの所為でどんどん人間嫌いになってくる。人間(ツイッタラー)ってこんなに頭が悪くて卑しいのか、と驚く経験がほぼ全て過ぎる。ただ眺めてるだけならまだ差が分からないというかテレビ感覚でみてたんだけど、実際参加してみるとあまりに愚劣な人が多すぎて、死ぬほど気疲れする。
 元々人間が愚かに見えて嫌いだったけど、ツイッターに半年参加したら千倍くらい嫌いになった。今年中にやめたい。
 もう少し正確にいうと、ツイッターをやる前は愚かな人にさほど悪印象もってなかったのに、ツイッター経由でその人達と直接会話してみると国語が全く通じないとはっきり知ってしまって、愚者を軽蔑する様になった。元々愚かな上に義務教育後も国語が読めない、しかも悪解釈したり誤解ばかりするなんて。もともと失読症か知的障害なら話は分かるが、単に国語を読む訓練をしたのに読めない人がいて、しかも偉そうな肩書きをつけてテレビだのネットだので大勢のフォロワー集めて金儲けて東京で威張っているなんて知らなかった。
 あと卑しい人の存在も薄々気づいていたけど、ツイッターで直接会話してみるまでその人達の心魂の吐き気がするほどの醜さについては知らなかった。自分とは全く違いすぎる種がいて、その人達の脳内に詰まっているのは本当に下らない事で、しかも色んな偏見や差別で思い上がっているとは知らなかった。なぜ親友や恋人、親が労働者にならないよう私に忠告したかが大分わかった。確かにその労働者になっている人達の心魂をよく観察すると到底自分と違うし、しかもそれは彼らの方が徳の質が低いという意味で落差がある。いいかえれば労働界はあまりに卑俗すぎるから清浄な自分に参加させたくなかったのだ。一般大衆がやってることを好む或るネットで知り合った主婦がいて、その人や別の労働者になった女にあわせ、一体大衆がどんな趣味をもってるか荒野行動とかいうゲームをやって覗いたりしたが、本当に馬鹿みたいな人達だなという感想だった。やはり馬鹿になるのは不可能だ。馬鹿は生まれつき馬鹿なのだ。
 馬鹿が考えることは、本質的にそうでない人の考えることと違っていて、しかもその差は日々拡大こそすれ永久に縮まらないので、時の経過と共に全く違う人間になっていく。私はこの数年で商業について学ぶ過程で大衆側の脳内を知ろうと努めたが、完全に無駄だった。馬鹿の考えは馬鹿以外にわからない。