2019年3月20日

都会は胴元天皇の悪意に満ちた共食いの死地でしかない

自然や里山、田園地帯を「何もない」と形容する人は、都市文明の情報に毒された俗悪な人間と考えて先ず間違いないだろう。彼らの「何かある」とは、基本的になんらかの商業施設を指している。つまり彼らの主観は商業が有、それ以外が無と歪められている。消費を促す企業広告の奴隷になっている。この消費型都会人が行き着く果ては、経営者、資本家及び市場の胴元である天皇皇族から搾取される結果なのだから、いわば奴隷的生活を理想視するよう丸ごと洗脳されきっているといえる。彼らは旅行代理店の捏造した観光地イメージに属する自然にしか価値をみいだせないから、自然や田園を評価できない。
 市場でなんらかの商取引をし、そこで得た幾許かの金を再び市場で消費する。しかも観光業者の開発した意図通りに捏造された自然もどきの人工地に金をばらまく。一方で彼らは田畑や工場で消費できないので彼らの食料や商品を生産している地域を蔑視する。これが都会人と自称する人達の腐った脳である。日本市場に限っては天皇が手数料を抜き取る為の賭博場でしかないので、彼ら日本の自称都会人は生涯天皇の為に齷齪奴隷生活をして税を貢ぎ死ぬ。そしてそれ以外の人生はありえないと狂信し、自他を奴隷商人状態に強要しようと同調圧力で監視しあっている。だがその不条理に薄々気づいていて鬱病に陥る。
 既に封建制を脱し共和国を市民革命や独立戦争を経て建国済みの諸国民は、とうに日本人のこの種の弊風を脱しているので、少しも彼らの気持ちが分からない。だが当の日本人自身は天皇政府の洗脳教育で他国に無知のままにされているので、自画自賛や夜郎自大に耽る一方で少しも共和国に学びたがらない。自然をありのままに見てその金銭に換算されえない無限の価値をみいだせず、消費する為の偽の観光地でない里山や田畑、工場地帯に金を使う娯楽性以上の尊い人の生きる営みをみいだせない目と脳の腐った都会人達は、簡単に言えば資本か皇室(胴元)の奴隷でしかなく、実際死んでも代わりがいるのである。商人は根底的に物品を生産せず、農工業者が作り出した生産物を消費するか交換しているに過ぎない。だから商人の競争は究極のところマイナスサムゲームであり、サービス業の集まった大都市はごく一部の金持ちと大多数の貧者を生み出し、最終的には滅亡してきたし、今後もしていくであろう。商人は自分達の消費・交換による差益生活をさも上等なものかのよう都会発の広告媒体に洗脳され、また狂信してもいるので、もはや農工業に帰るより絶滅を選ぶ。出生率が最低な上に未婚率が最高の都会(東京圏や関西圏等)は口減らしの死地でしかないのだが。それも胴元天皇は移民で補おうとするだけだ。
「商売人として成功する」「金を儲けて贅沢三昧をし貧民を見下して悦に耽る」という都会人の共通目的像は、その背後にいて彼らを手数料で貪っている皇室の魔の手のうちで賭博の当て馬になっているだけだから、非常に幼稚なことだ。最初から都会人に混じらず、田舎で搾取せず、隣人愛に生きるがよい。金銭に換算されうる地位財と、されえない非地位財のうち、後者こそが貴いものだと悟り、はじめから地位財を追いかけるラットレースを軽蔑し、悪徳に堕ちた都会に近づかないがいい。その死地で行われている全ては、胴元天皇にとって都合のいい、奴隷にとって不都合なバトルロイヤルの共食いでしかない。