2019年2月22日

選挙を経ない絶対権力による革命のみが天皇と独裁者安倍晋三の最悪政治から救国を可能にする

日本国民は卑しすぎて自滅したのだろう。これほど悪政三昧されても独裁者にすがりつくなど、恐ろしいほど卑しい人間にしかできない芸当だ。国民一般が奴隷同然の卑しさなのだから、天皇政府からごみの様に扱われているのもむべなるかなという他ない。日本国民一般になんの期待も持てない。なぜこれほどまでに日本人全般が卑しい心根の持ち主なのかは知る由もないがそれが事実だ。政治的不能なのも間違いがない。自分が観察した限り、独裁政権を維持したがる心根は、滅亡して当然といえる驚くほどの卑屈さや愚劣さで、もう人間の体をなしていないのだ。とにかく奴隷的で昆虫の様に臆病だ。
 この国を救済できるとしたら、腐敗しきった政権を打倒し、いくら卑しいとはいえ日本国民とやらの命と財産を守れる人物がいるとしたら、それは一般日本国民とは全く違う心象の持ち主であるところの貴人である。勿論、独裁政治に依存し税を貪る、堕落した皇族や金持ちの意味ではない。精神の貴族だ。
 国を変えるという意味ではたった一人いれば十分だろう。その人物が王になればいいのだから。天皇や安倍晋三を退け、自身が英君として統治すればいい。その時、多数決は全く役に立たない。衆愚は恐れをなして、どれほど悪政をしていても自民党に依存してしまうからだ。絶対的権力を持ち、国や国民全体に対し常に上位者としてふるまい、しかも最高徳の持ち主であれば、その単独者が唯一、腐敗した国政を革命し得る。その新君主は国民全般の衆愚的世論とは対立さえしているだろうが、それでも迎合政治より遥かに優れた治世を作るだろう。ナポレオンの様な革命家にして絶対君主が必要だ。その単独者がいなければ亡国は間違いない。衆愚は群れるために群れ、最悪政治を行う自民党と天皇閥に依存したがる。だから多数決ではなく、絶対権力のみが革命権の行使につながるのだ。小沢一郎氏がその絶対君主になれるならそれに越したことはない。何か彼に革命権力を付与する機会があれば、天皇、日本政府、政財界の癒着、そして自民党とその信者らがくみあわさった最悪政治を覆せるのだが。
 権力を選挙の上で多数派の支持を受けて得るもの、という考えを全く改めねばならないだろう。その方法で択ばれているのが安倍晋三氏や麻生太郎氏なのだから、最悪の結果しか伴っていない。強制力によって選挙制度自体をのりこえ革命を起こすしかないのだ。
 或る男が皇太子を新天皇として担ぎ上げ、自民党を朝敵扱いすれば容易に革命できると私に教えた。これは尊皇手法として史上幾度もくり返された型だ。しかしこれを使うと新天皇のとりこになるばかりで、現実には天皇権力を再び強化してしまう。逆に共和革命によって天皇政府ごと破棄しなければならない。
 愚民の支持を受けようとしても、全くの無駄だ。時間も手間も。愚民は安倍晋三がこれほどの悪政をくり返しても支持するほど恐ろしい暗愚さで、悪徳の塊なのだ。暗黒の愚民を完全に無視し、勝手に政治を正道に向けかえ、歩を進めねばならないのだ。