2019年2月22日

文化盗用はカットアップの手法に過ぎない

文化の盗用を非難している人は一体なにを攻撃しているのか? 村上隆は芸大日本画の博士という学位をとってから、東京の秋葉原界隈で流行っていたオタクの卑俗な副文化を盗み、欧米に輸出した業者だった。同じことは村上春樹が米文学風の日常主義(文芸領域のminimalismを意訳してこう置いておく)を日本向けに逆輸入したことにもあたる。あるいは奈良美智の人物画は漫画風のデフォルメを施した幼児を、米画のオールオーバーなフォーマットに乗せた物だ。どれも文化の盗用に過ぎないといえばそうなる。
 米国内で民族アイデンティティを尊重することが流行の政治的正しさになっているとして、美術や文芸の領域ではとうに文化の盗用が、後近代的な越境文化の手法として正当化されてきた。一般大衆の次元でそれが理解されていないだけだろうか? 米人がトランプ風の民族主義を乱用しているだけ? 音楽の領域でKPOP歌手が日本語で歌ったり、TWICEが複数国籍のアイドルグループだったりすることはどう説明するのか? ONE OK ROCKやtahiti80、PSYが英語で歌っているのは文化盗用にあたるのか? 日本人が英語タイトルの曲を書いたら政治的不正なのか?
 文化盗用という非難らしき言辞が、一体なにを攻撃しているのか、自分には全く分からない。アリアナ・グランデが七輪を揮毫したらなんだというのか。民族主義者が芸術領域で懐古的に文化の純化をはかろうとしても、そもそも全文化は混交して成立しているので不可能でしかない。Childish GambinoのThis Is Americaと、DA PUMPによるイタリア人ジョー・イエローのカバーとしてのU.S.A.のどちらがより、文化盗用性が希薄で純民族的だといえるのか? そしていえたから何か? 民族アイデンティティにこだわる人間は馬鹿ではないのか? 米国内でなにを指して非難しているのか? 外人がぶっ壊れた日本語を使っていようが、その日本語自体がぶっ壊れた古代中国語のもどきで成立している。ラテン語やギリシア語をぶっ壊し使ってきたアメリカ英語がオリジナルの言語だと彼らは思っているのだろうか? 文化盗用を非難するなら世界で誰とも関わらず孤立しているしかないのではないか。
 特定民族を差別的に扱う文脈で文化盗用をしている、という場合に、それを道徳的欠如だとみなすならまだ理解できる範囲だ。しかし異文化を当人達がどう引用しようがその人々の理解力やら良識が試されるだけの話で、文化盗用という概念は、ただの異文化学習と模倣でしかない。日本人だの東洋人が洋服(European clothesという意味だ)を着ているのも文化盗用だから、着物にもどれといってみても、それが呉服であってまた中国人の文化盗用なので、結局、最も原始的な衣服しか着れない。文化盗用の非難がいかに馬鹿げたものか。米国版ネット右翼用語の様なものであろうと思う。
 或るミームの独創性への固執、それも単なる異文化との混交の中で偶然できた差にすぎないのに、さも民族の独自性を誇る道具であるかの様にみなす愚昧さ。全文物について、ほぼ全ての点で文化盗用の非難が成立しないことは明らかであろう。どんなミームだろうと元の文化と違った文脈にカットアップされる。世界中の文化を私の県だか市だか町だかの文化にかき集めてきて、それを全てぶった切り、完全に別の文脈におきかえて世界中を挑発せよ。全人類が降参するまでそれをするのだ。