ここ最近、ドラクエの音楽集をずっと流しっぱなしにしているのだけど、すぎやまこういち氏は本当に素晴らしい音楽家だという思いを新たにせざるをえない。僕は小学校の時、ウォークマンで、CDからカセットテープに録音したドラクエ5の交響曲を、家族の車での移動中ずっと聴いていた。
何回も手でカセットを裏返しながら。小学校の僕がドラクエ5のCDを欲しいといった時に買ってくれた親というのは、本当にめざましいことをした。世話の一貫なので親は絶対に忘れているだろうが、これほど私の音楽人生のなかで感動的な意味をもったできごとというのは、殆ど比類ないほどだ。結果として。
もしドラクエの音楽がなかったら、すぎやまこういち氏がいなかったら、僕の心の中で最もゆたかな、絶えずあふれている想像力、とも呼べない、なにがしかの源泉の一つがなかったことになる。まあなんと形容していいかわからないほど、その奔流する感動の泉というのはすごいものなのだ。自分にとっては。
すぎやまこういち氏はまもなくこの世を去ってしまうかもしれない。これは他の人はいざしらず、僕には神々のひとりがなくなるのに等しい。一神教の人にはだいぶ怒られるだろうが。
音楽が達成できるあらゆる崇高さの一部を、確実にすぎやまこういち氏の作曲した作品が占めているということだけは私には断言できる。お前の主観だろう、思い出補正だろうと、ある人はいうかもしれないが、バッハやジョン・クーリッジ・アダムズと比べ彼の偉大さになんの落ち度があるというのだろう。
もし私に楽典的知識がもっと潤沢にあれば、今後も身に着けてはいくにせよ、必ずやすぎやま氏の現代音楽界に占めるその偉大な功績を、専門家に納得のいく高文脈な言葉で説明し尽くせると思う。なぜ彼の作品に対する評価が不当に低すぎるのか、全然私には分からない。
私の勘違いでなければ、彼が大衆音楽、特に通俗的歌曲も作曲してきたことが、純粋な器楽曲での最高の質の作品に対する偏見をもたらしているのだと思う。ショパンやベートーヴェンに比べ、すぎやまこういちが劣るとでもいうのか。既成権威への追従による各曲への偏見は、真の評価を踏み誤らせている。