2019年2月17日

尊卑は賢愚を包括した上位の知能

自分より愚かな人(卑しさは道徳に関する愚かさだ)とつきあうと人生に有害だが、人の賢愚は学歴で一般化できない。高学歴な愚者に騙されない為には、先ず相手のもっている知性の種類を見抜く必要がある。
 多重知能仮説は賢愚自体が個別の能力で、一般化できないと示している。平成日本人の大部分は義務教育の中で等級化された一般知能仮説を無意識に採用しているので、賢愚を学歴順で評価できると考えその確証偏見に耽り易い。学歴はAO入試等を用いロンダリング可能なので精確な個別知能の目安ではない。後光効果は特定の知能が優れていることの証明が、一般知能の優れ方だと誤解させ易い。この世で可能な賢さは個別の賢さの広さだけで、万能の知性は実現できない。つまり最も広い意味で賢いと判定できるなら、それは一般教養の程度である。しかし世間知などを含めると、これも万能の賢さの指標でない。
 だから少なくとも最も広い意味で賢い人は教養の広さと深さが同時に達成されている人で、同時に個別の知能だけが発達している人は彼らより専門知に優っている。これは世間知や低俗知などにもあてはまる。尊い人は教養を要素としてまとめられた道徳知能が優れている。この世で最もつきあうに足る人は、道徳的に尊い人である(政治的・社会的な地位を意味することがある身分や肩書きの貴さではない)。その人は個別の知能が広く優れているのに加え、それらを部分として使うという意味でより上位の知能である道徳性が高く、この意味で利他的だからだ。逆も然りである。