我々の不幸の殆ど全てが自分より卑しい人との関わりに由来している以上、社交相手を厳正に選べないSNSは不幸をふやす事こそあれ、誰も幸せにはしないだろう。
その人の知徳が万人に優越している様ならSNS全般が有害になるだろうし、長じてそこに最後まで居残るのは最劣悪者だけだろう。知徳に中間的な人は徐々に少なくなる優秀者の零す情報に縋ろうとし、最も慈悲深い人達が遂に耐えられなくなるまで利己心のため彼らの無償奉仕から搾取する。最善者が自己犠牲する場であるのとあわせ、全体としてSNSは他人を利用したがる劣悪者にとっての適所でしかないのだ。
SNSで悪人は善人を駆逐する。SNSは常に堕落し続け、最後には地獄化する。
ゴータマが看破していた通り、人は孤独を楽しむことを覚えるべきであり、知徳について自分以上の相手が見つからなければその様なSNSに参加するのは自己損失しかない。ウェブが各界の著名人の実力を判別し易くしたとはいえ、多くの生きる聖人は同時代の大衆に理解しようもないので無名である。したがってウェブ上で現実に存在する聖人達を見いだすのは難しい。特に衆愚が多数派であるSNS全般では。