2019年1月29日

貴族精神について

日本でNEETや無業者、その他の自由人が労働者全般から軽蔑され、差別を受けているのは、決して単なる嫉妬心の裏返しではなく、彼らの殆どに貴族性がないからだ。小人間居して不善を為す、至らざる所なし(小人間居為不善、無所不至)と『大学』にいう通りの陰湿な悪業三昧を、5ch(旧2ch)はじめ匿名ネット文化の中でやりつくしてきたのが彼らNEETの一部だった。別に高潔な一部の自由人がいたとしても(私もそうなりたいと絶えず願って最大限の努力はしてきた)、5ch文化がもたらした災厄が余りに大きすぎたので、日本ではNEETが蔑称になるばかりか、内向的生活様式を好む引きこもりを社会問題化しつつ無業者全般と同一視して労働者と対比させながら差別したり、私有財産があるが故の自由そのものを否定する勤労者側の悪意はとどまることを知らず、遂には被差別階級扱いしているのと殆ど同じだけ自由人全般が貶められているのが平成時代だった。
 なぜその様な状態が生じたか考えるに、2chとして匿名掲示板がネット上に作られた頃の日本はバブル崩壊後の不況が覆いつつあり、したがって就職氷河期世代などを主に失業者が多く発生、彼らはネットで不満を紛らわす為に我々が知るありとあらゆる蛮行をはじめた。彼らがなぜ匿名の2ch(のち5ch)やニコニコ動画を選び、なぜ実名のミクシーや後のフェイスブック、今日のインスタグラムなどを選ばなかったかは明らかだろう。それは彼らが小人だったからで、いわば自身の人格に尊厳を持っていなかったのである。なぜ彼らの人格が低劣だったかといえば、およそ高い教育を受けた人は順調に就業し、その枠組みから落ちこぼれた人達が恨みのネット文化を作ったからだと考えられる。生きる動機が社会への復讐であったり、他者への憎悪であったり、自己効力感の欠如と自信のなさからくる衆愚的蛮行での憂さ晴らしであったりする上、その抑圧を文化的活動に十分昇華するだけの素養を見につけなかった彼らに貴族精神など当然の様に期待できないので、日本のネット環境は暇に飽かした彼らの想像もつかない悪事の山で埋められた。唐沢弁護士や長谷川亮太氏、スマイリーキクチ氏らだけを死の間際に追い詰めたのではない匿名衆愚の百鬼夜行により無法地帯と化したのは2chだけではなく、犯罪幇助の容疑を裁判への欠席で回避してきたひろゆき氏のつくりだした次なるニコニコ動画や、Hagex氏を遂には殺害してしまったはてな村など、日本人の一部が自由を無責任に乱用し続けたことで積みあがった被害者のむくろは富士の頂をとうに越えるほどである。その様な現実を毫も省みず、平成日本でも自由人はだれであれ高等遊民たるものとして尊敬されるべきなどだと暖気(ノンキ)にのべつまくっている輩は、もういないにせよ単に無知なのだ。もしリチャード・ドーキンス氏の上にさえなお聖書の神が実在するのであったなら、遥か昔にこの国はノアと目される者(私だ)を除いて亡び去っていたであろう。
  いずれにせよ、この国に起きた匿名ネット文化下での悪業の数々は永遠に閻魔帳に記しおくべき世界史の汚点だと私は曇りなき眼でしかと鑑みるわけだが、問題は貴族精神を宿した少数の、本来の自由人の居場所である。彼らは確かに労働者や商人と違って己の利にさしたる関心もなく政治家や皇族らと違って己の名誉欲に突き動かされもしないのであって、ただ純粋に高貴なる魂を考究しまた実践しているのである。だが海より深い匿名悪業ネット衆愚が溢れる毒の沼の中で、一体だれがその存在に気づけるというのか。そして一体だれが真の自由人の誇りと威厳を、尊敬しなおせるというのか。偉大な自由人であったソクラテスが毒杯を仰いだ事は今日なお我々の胸を打つ自己犠牲であったにはせよ、切腹の文化すら衰退しているこの国で、たった一人であれ定言命法の崇高さに自らをなぞらえ、死を賭して匿名衆愚との馴れ合いによる排他的同業組合と化した悪徳日本の退廃と戦い、そこでの経済弱者たるNEETや無業者らを含む自由人の探索的で進歩的な役割を進んで果たせる者がいるというのか。
 上智と下愚は移らず、と孔子はいった。それがIQや一部の性格など知能因子の遺伝が徐々に明らかになってきた今日なお真理なら、我々の中に上智の者が一体一人でも残されているか。もし残されているのなら、その人こそは堕落しきったこの国を、匿名ネット文化の卑怯さを、だれきった内輪ぼめでの信者ビジネスやらネット右翼との慰め合いだのにとけこんだ差別の数々を、なんとしてでも変えねばならない。できるのか。その人が本当に知恵と勇気の持ち主で、正義を知っているのなら、たとえその人を除く日本国民全員に不当な迫害と弾圧を受けまくっても、なお最低最悪の衆愚どもの遥か頭上に輝く後光のごとき精神の高みの、貴族的な魂へと昇竜する思想の革命を起こさねばならないだろう。