2019年1月29日

日本人相手に議論するな

日本人相手に議論するな。日本人一般は議論の習慣がなく、個人攻撃と容易に勘違いしてくる。その上、匿名で陰湿に群れ、集団いじめをする傾向が激しく、議論参加者が誠実に対応するほど匿名の卑怯者からの一方的な冤罪や、誹謗中傷の標的になり易い。彼らは単にメタ認知の能力が低く、言論の中身と個人をきりはなして考えられないのも加わって、哲学における対話術(dialectic)が日本人一般相手には全然通用しない。正反合の展開は勿論、助産術的な真理の探求、その他反証主義的な傍証による批判的思考など、ほぼありとあらゆる知性的な思考法が日本人一般には当然の様に不可能であり、詭弁や議論の規則違反を平気で犯し開き直るし、他人に単なる意見をいうだけで喧嘩と考え突然形勢不利と見なした方を集団弾圧するだけ、ごくごく幼稚かつ陰険な人達が基本なので先ず以て日本人全般と真剣に議論も討論もしてはならない。相手がとるに足りない者であったなら、容易にあなたへ子供じみた濡れ衣を着せ誹謗中傷の的としだすし、恐ろしい事に何の罪もない人をこの様な卑人が攻撃しているのを見ただけで、日本人の一般民衆は即座に群集化し束の間の安心を得る為だけに殺害までしかねないのだ。
 福沢諭吉は『福翁自伝』で日本に足りないのは数理学と独立心だといったが、もっと足りないのは議論に関する基本的な倫理観、特に対話術の不足である。だから日本国民として少しなりとも知性を持った者であれ、その他の外国人であれ、なにかで会話することになったのが日本人であると分かったら十二分に注意し、その人が和という衆愚的集団心理に妄従する悪癖をもっている空気を読みの全体主義者であることが先ず殆どだと疑うがよい。ごく例外的な知性の持ち主が、退廃した日本国内の典型的衆愚化教育を免れていたが為に対話術に秀でている様な場合は、私は一度も知らないにせよあるかもしれないが、その様な個人だと完全に分かるまでは、日本人相手に議論をしない方がよい。彼らの習慣が一朝一夕で変わる事もないだろうから、重要なのは日本人相手に真剣な会話を避ける自制心だ。