愚者は自分より劣った知性しか持たない子供の様に無力な者なのだから、その人を憎むより哀れむべきだろう。
その愚者が我々の目には悪意を持っている様に見えるとしても、何かの勘違いの為にそうしているか、悪を認知する能力自体がないか、単に悪事をしたがっているか、他者からは殆ど見分けがつかない。この意味で愚かさと卑しさ(悪徳性)には共通部分とそうでない部分があり、低知能さの一部に卑しさがあるのだが、何らかの優れた専門知で後光効果を持つ人に全く悪徳的な部分がある、ということもよくある。逆に知能全般が優れていないのに徳のみに傑出した尊さをもつ人もいるのだから、愚かさと卑しさを悉く混同するのは両者を見分けうる立場に劣っている。
我々は差別主義的な思想をもつ右翼が低IQの傾向があるという調査を見るが、この思想傾向の人達は当人なりの善意で差別をしている事が往々にしてあり、その場合、その人は愚かさと卑しさの共通部分をもっているのだ。
そして愚かさ同様に、卑しさが本当に憎むべき事なのかについても、我々は十分考えなくてはならない。その人の卑しさが他害的な場合、なるほどそれは憎たらしい事だが、単に自滅的な時むしろその人の身に着けてきた悪習や、劣った判断力は哀れみに足るのではないか。