2018年7月2日

西国及び一部右翼の弱肉強食主義についての分析と改善案

天皇制結束主義(天皇制ファシズム)や、明治維新と呼ばれる反政府恐怖政治(反政府テロリズム)や薩長寡頭政治を正当化し、第二次大戦又は太平洋戦で日本軍が敗北した事のみを反省点としている、主に山口県や鹿児島県の民衆をその利己主義の原因としている日本の一部の自称右翼らは、単なる権謀術数主義者(マキャベリスト)に他ならず、弱肉強食を狂信するのみで、善悪や政治思想を到達する目的ではなく我欲を満たす道具としか見ていない。この意味で、彼らは文明を道具としか見ていない野蛮人であり、衆愚、独裁者、寡頭政治家いずれかの暴力が全てを支配する事を当然視し、また自らもその一部に積極的になろうと考えて行動している。そこで彼らに言われている戦前の反省は、決して善悪や政治思想上の公徳に基づいた物ではなく、ただの暴力で負けた事に対する後悔でしかない。これ故に、薩長寡頭政治への妄信や天皇独裁回帰を何の臆面もなく吐露するばかりか、国民の権利、人権を侵害して恥じず、アメリカ合衆国やフィリピン含む慰安婦像問題に関するよう諸外国や沖縄県における反基地運動に対してみられるよう自国における表現の自由を侵害し、明治回帰を大真面目に主張しているのである。
 明治テロを首謀した人々が出自した山口県や鹿児島県、又この共謀者となった高知県や佐賀県等を含む西日本全般は、自県の歴史において上述の弱肉強食主義を当然とみなす人々が行政において支配的であり、しかもこれら西国諸県の互いの利害の相反を超克する目的で、天皇制結束主義がこれらの上位原理として日本国全体、日本国民全員を独裁する事を、再び多かれ少なかれ理想視もし兼ねない考え方をもっている。つまり、彼ら西国行政人一般の多数政治、民衆政、democracyに対する理解や共感の念は殆ど表面的な対米追従に過ぎず、しかもその理由は暴力で劣っていたから、という酷く卑小な物なのである。
 もしこれらの分析が正しければ、西日本を支配する原理は単なる暴力であり、他ではない。天皇もその暴力の源泉としてのみ要求されており、もし天皇を絶滅させる暴力が現に現れたら、西日本の行政人らは一斉にそちらへなびくことだろう。そして教育によって彼らの脳内に、暴力を超えた善悪の観念とか、政治思想の意義を惹起しようとする時、明治政府や薩長藩閥による恐怖政治を正当化している日本国政府や、皇室は利己心を目的に、従来通り天皇狂信や政府妄信への洗脳を行おうとするので、少なくとも公教育においてはこの目的は多少あれ歪められてしまうだろう。つまり、西日本の行政人らと、その公教育的意図に基づいて思想統制されているおもに西日本の民衆に、明治以後の自民族中心主義や自文化中心主義的歴史解釈における利己心を超えて本来の倫理学や、政治思想の多義性に目を開かせるには、公教育の独裁者としての皇室を政府から除外するか、日本政府自体、公教育を司る文科省自体に、飛鳥時代以後に生じた天皇支配の歴史を含む弱肉強食主義を懐疑させる観点を義務づけるか、さもなければ公教育制度を除去し私教育のみを公費の補助を含めて再構築するか、いずれかが必須となる。