他人と比較して幸福になろうとする限り絶対に誤る。他人を気にしないしか幸福になる方法はない。他人本位、他人志向である限り、人は多数派に流され低俗化し、或いは別の意思にあおられ失敗するからだ。
汚い生き方をする人間は、汚い人間になる。清らかな生き方は清らかな人を作る。
生あるものは死んでいく。汚い行いをなして生きる人は、彼らの汚い子孫からも蔑まれ死に、すぐに忘れ去られる。それは彼らが、子孫にとって一刻も早く忘れたい人だからだ。清らかな生に子孫がいなくとも、彼らの行いは清らかな人々から賞賛される。
繁殖は幸の目安ではない。功徳が幸の目安である。子孫にとっても同様に、前世代や先祖の功徳が直接、遺伝子や文化、歴史をはじめとした生存状況に反映されているのだ。過去の因業が現世代を作った。現行の悪事は来世代、次世代にとって抗えない不幸の原因である。今の業は次世代からは前世代にみえる。これ故に、人は道徳性によってのみ幸を得ると結論できる。