2010年2月1日

政治学

最もはじめに地上の政権を使い出したのはルソーの説によれば土地支配を思い付いた個り。が、土地支配の観念は植民地の原理と同じく暴力を伴わねば不可。ゆえ政権の正当さは起源への沈思を試みても決して神権概念の建前では語れない。ロックの市民政府論の反駁はこの面で正しく、より現実にみた地上権力の据置きは土地独占の暴威を許す特定の族の発生に同じ。
 空中権や地下権はもしこの族観念を引き込めば同然の結論として、国家の強化につながる。ゆえ権力の据置きは起源を忘れる時まで結局どこかの族を護り手に指摘せねばならない。でないと防衛費負担の微分は日用品改良の歩みを妨げる家政摩擦となる。これは経済淘汰的なので政治界の眼差しでは無視できる。国家覇権の原則は族観念にとり過程。国家は族観念を前置きにそれを複合化していくしくみ。
 国連同士の、星外秩序との関連の前に、国連統治は次の順序をとる。それは星内で実現の為の覇権国家とそれ以外に地位の奥行きをある程度とる。もし星外との折衝がそれ以後かなりの間おこらなければ、この国連順位には国際関係内で覇権国との協調の良さがおもに当たる。そして国際協調は国家相互の支配と従属を一定の手順で合理づける。もし国家主権の厳しい手続きをへてこの譲渡が起こるなら覇権国家が圧倒的地位を確保できねばならない。
 国連は星外折衝にとっては、革命が起こる緩さを結局まぬがれない。ゆえ国連自体から星内主権の放棄が起こる確率そのものは低い。但し、もしジーザスの先見の明が正しいとすると、巨大文明との折衝ではもてなしが善いほど生き残り易い。この点で、国家主権は手段であり盤石の覇権やその過程に向けては手続きと言える。
 全て国粋思想はそれが防衛論の中で語られてこそ意義をもつ。逆に、襲来してくる外敵がない段階でこの無粋な考え方に意思を注ぎ込む者は風変わりなばかりか断たざる進歩への認識不足のゆえ迷惑係となるかも。原理主義の有用さは言うまでもない。それらの保守思想の真髄は最も消極的な用法、つまり危機に及ぶ否応なき防衛上の民心統一にある。将軍や武権が普段から猛威を奮うのは従って誤りか、一部の社会場での習慣づけ已。彼らは一括りにできる職能集団をやがてつくり、又この広がりは限定されねばならない。永久平和が理想論でしかないと語れる余地ある丈この防衛階級の自重は一定の慮りから保たれる可で、もし一切の危機がありえない理想郷を想定できない限りはそうなる。
 裏をかえせば、平和な治世にあって最も原理主義的な極度の国粋論を鼓舞したがる者は徹底した説得と批判とでその権威を削がれていい。これは誤った方向付けで部分的な団りや個りの足を引っ張らせない為に。専門職視が進む程、一般の民営人とこの軍事人との郷里や意図は違和し続けるだろうから、彼らに同じ埒を設けるには行政官による厳格な指揮の定式化が必要。この枠をこえた暴威の行使には全て適した刑罰が要る。
 自由主義は財産調整への最低限度の介入しか認めないと勝手主義、libertarianismに代わる。この原則は結果と機会の不平等を他者間に正当化する。だが、勝手主義は政治参加の自由さえ認めないかそれを抑えこむと国家への破壊につながる。もし勝手主義を調整的正義の制御なしに放置すると、必然に内部の徹底不満分子による恐怖政治への転化が生まれ勝ち。もし勝手主義が使えるならそれは何らかの緊急事態に際しての選良独占資本の行使を正当化する一時の方便として。でないとこの継続は当然ながら大多数への抑圧が社会不安の増大として現れる方へつながる。
 政治行為はおもに商覇種の独裁化を群れの論理で調整し直す為のものだから、自由主義の逆用で配分のみを義とみなすとか、悪巧みをくんだ原理主義が共産党独裁への内示に使えるとかこういう資本主義経済の基本秩序を乱すなんらかの非本質な政変は、みな退歩を免れぬ。つまり、覇権国家との折衝の縦横無尽な策立てでは族の政治行為が資本主義への累進徴税の旨を、一定の話し合いで納得できる額へ決めることこそ本質で不可欠。そして各種の政変は、この旨を決めるのに何らかの不合理な慣習がまかり通る場合のみ、その歴史の目から正当化される。但し、政治史は急進派をはらむ犠牲への慚愧の念で処する。これは理由のない正義は別の正義、要するにより知識量の多い側の正当化の規則集合へと繰り入れられるという弁証法的実践過程あるいははかりの組み上げの謂いだから。歴史家が微笑むのは、それが後発の反省点をあげつらう所にまとめられゆくゆえ比較的穏健な正義感を、進歩への一般にあるかあるだろう社交傾向と一致させた集団へ。要するに、社会正義は度合いで、しかもその実際の評定は有利不利の原則を状況改良への切っ先として実現した部分形にあてられる。だから個人か最小集団となることは必須で、これは総意が得にくい群生か民衆となればなるほど難しくなる。議会制政党政治の合理性はそれが際立った個人を単位としてでも改良点を付け加えられる面に。いわゆる独裁制度や猟官制的官位をかしづけたがるたぐいの革命派社会主義ではこれはかなり難しい。