福祉国家論が閉鎖社交への条件づけでもありうる事は社会民主か民主社会の修正主義思想による国家への累進規制よりもなお強い。福祉国家は税収を国営の議会会社:ギカイガイシャへと貯めおく。ゆえ経済界にみれば、国営機関が重たくなりすぎ、投機衝動を冷え込ませ易い。
福祉国家が現実にかなり根付いているのは寒冷圏の社会である事、これは結局、閉鎖社交への潜在欲求が彼らに経済伸長や技術発展よりも不動の体制を尊ばせ勝ちな所に。
地域分権への指導は、もし資本主義の精華を最大級の生産量へと鑑みるつもりなら斯くの地味分岐も考慮されていい。抑かれらには資本思想は文化適合的でないかもしれず、勝手主義の頒布さえ迷惑や福祉の旨と矛盾するかも。つまり資本給の分配はそれを許容か選択する族の自由だが、決して普く推奨したり、独善視もできない。そうする者はやはり悪習を風趣への微分という認識で理想できるほど賢くない。
成るほど以上の論旨から次の理屈は引き出されるか。
もしそれが地域の資本運営や投機と発展への意志を多く削ぎ落とすとしても、地域分権の裡:うちわけには経済体制への嗜好自体も多くの可塑性を加えられる可だ。そうすれば地域間や国政間の体制矛盾、たとえば裁かれる品性の埒や教育への共有負担率なども経済状態と郷民の満足できる妥当点をみいだす規制へ宛がわれる。
これは「地域経済体制の分権」は地味率が合理的にもっている地政の特殊解を抽き出だし、夫々の相互参照と広域に亘る中央法の枠内で可能な最大の地方競走論が展開の巧妙さと最終的な税収による調整後の豊かさにとっても現実的であると示す。要するに、足を引っ張る郷:くには取り敢えずおいてきぼりにしても全体の税規範に一定の累進税率が及ぼされれば、金融に於けるくみこみ振り子の原理のため決して一地方が破滅したり治世上陥没することはない。