2009年10月9日

徳川の計略

守りを固めるのは国家経営の前提だが、いかんせん関東軍人の後腐れは日々芸者遊びなどの悪徳悪行悪業に暮らすうえ勉学を好まないので知力が乏しく、簡単な計算を見誤る機会がきわめつけに多い。
たとえば満州を策謀で侵攻した時、もしそれが軍人風情でなく真実の知慮に優れた文官参謀のもとに行われていれば、各種の軍隊式の下賎きわまる欺きや常道的悪行の罪によってではなく「講和と商策」という文人外交の王道によって、当時の国連からも正当な支配関係と黙認されたかもしれない。文民統制の決定的だったイギリスが一体いつまで植民した香港から利益と尊敬を受けつづけただろう?

 これらをもし敗戦によって得た原爆ドームの慰霊碑の真上に立って真剣に反省し、自分どもより遥かに賢い国家が現実に存在していたと先見の明ある政治家が目覚めるなら、いつ転化して狐の皮を剥き出しに侵略戦争へと現地で暴走してもまったくおかしくない“防衛省”なる奇形な組織をかの二の舞を踏むものとして自主廃棄し、それを警察庁と一括して『警察省』と面目を改めるだろう。
もしそうすれば国内の武力がすべて内閣総覧のもとに運用されゆく習慣が自明となって、万一この元々防衛省と呼ばれていた悪魔の集団が戦場で以前と同じくあらゆる悪為を発狂したとしても我々は「警察権力」の行き過ぎだとしてその責任を、現職内閣総理大臣の失政へと求めることができる。すなわち最悪でも総辞職によって平和主義国民自身の責任ではなくなる。
そうなればいかなる命令外の暴力も、国外のどこで働いたにせよ単なる国賊行為でありテロリストの暴走なのである。公務執行妨害の国内法で裁けばよい。
 仮にそうしないままで防衛省と名乗った悪人たちによる侵略行動が暴走すれば、日本政府は国連から当然その内政干渉や政治的不当行為の批難を受ける。そのとき責任を取る建前がいまの段階ですら存在しない以上、防衛省が警察庁あるいは警察権力と分離している現在の国家国防体制は策士からの‘揚げ足取り’をいざなっているのに等しい。

つまり、もし外国人がこの脆弱な理性を国際的に孤立させ潰そうとすればまず武力で挑発し、防衛省から出てきたいつもの馬鹿きわまる関東軍人をどこかの囮の内地へ引き込み、これを手玉に取るべく様々に裏をかくおちょくり威嚇で暴走させればよい。
武士道なる古代の陋弊を神武創業無敵復古などとあたまの狂った狂信状態で思い込んでいるこの以前のままで進歩のない武官の血筋は、いうまでもなく感情に激しやすい女々しい情緒的国民のことだからまちがいなくほぼ侵略行為同然の、政府からの命令無視の暴走をはじめる。
こうなればねずみ捕りと同様で、本土であたふた慌てふためく大王家周縁とやらを“ネオナチズムの巣”であるとして国際的なテロリストの親玉へと事情に薄い各国民営報道局を懐柔利用して仕立てあげればよい。
国連軍は世界的扇動状態で日本本土を即刻占領し、今度こそ某の在来宗教ごと解体し、大悪土民の汚れた血統書つきの過半数は生化学装置で安楽死させるか奴隷とし、王をそのための事後暗殺前提の傀儡とし、結果としてあふれる大馬鹿者の土地を連合国の総合的民意によるすぐれた外来新種の平和主義文明軍で支配完了できる。

 もしもこういう貧相な算段知能しかもたない‘軍人幕府の末裔という劣った伝統’というおそるべく又あしき宿命を変更や改良、改心さえしたければ、守りとはべつにできるかぎり和平をもとに発展共栄への攻めの道を全力で考え尽くすような『計略省』を新設されるとよい。
仮にもその人員へは文官の命令に背く確率のたかい武官の分派ないし末裔を、きちんとした照査のすえ決して編入すべきでない。さもないと(秀吉の天下人時代のごとく、出自をわすれて)再び知恵の足りない無謀な侵略戦争方法としての計算式を考えだす危険もあるので。
一般に、ひとたび戦闘をおしえこむとその軍事階級は死ぬまでいやでも戦いつづけてしまう習性をもつ(西郷王国の自壊的滅亡をみよ。逆に、西南戦争の真っ最中の同時代から学問の習性をつづけた福沢王国あるいは義塾の先行きある展望をみよ)。

そして遠い将来にはこの理科を本旨とする省庁が、むしろ国連軍への形式や義理の参加を除いては後進地化して国際戦略的には失敗と見做されるようになった軍事演習や国費で雇う専門武官などなどへの悪評をまねく無駄な予算を充てるのに適当なだけ、国家経営方針決定の中枢となるだろう。
 特に、帝大の血統を引く東京大学府が各地から科挙的に集めたアジア最高峰の勉学向き知性を蔵して身近にあるという好適な機会を活かして、一直線の高級官僚への道ではなく、内閣府の中の頭脳班出身をめざす道もことさらに空けておくならば、後のちの政権交代時に政策与党による大変に学理的な質の高い情報を民間の研究家へ普及させるといった「戦略開発」の民生福利へも、一石二鳥の功績が期待できる。