2009年10月11日

中世美意識の批判

伝統的にみた場合、日本という国家の大きな特徴はおそらくその感性を研ぎ澄ませやすい季節風土の特殊さからくる「美への寛大さ」かもしれない。現代人の知る地球中でこれにもっとも近いフランスという国でも、それと同等付近の美的寛容性しか見当たらないらしい。
 芸者という専用の接客業種、いわば阿婆擦れの性質者を迫害しもせず関西民族が認知していることそのものからも知れよう。だが殆どの国柄からいえば、この様な理性的に好ましくない職種は目の敵にされる。

 一般に美観というものは非常に高い中庸性について当たり、さもなくばそれは奇観を呈するといわれる。だからつねに移り変わる社会情勢や時代の流行にあわせてそのちょうど中間色を穿つ必要性はものごとへの敏感さを望む。そしてこの種の敏捷性や機敏さはどちらかといえば機会主義的なので、決して不動さとか誤りなさとかなんらかの雄々しさ又は「理知」の痕跡をしらせしめない。いいかえると審美的な感情はいずれにあれ背後にあるだろう理知のちらつきをことさら教えないところにある。だが、同時にこの性格がおもとして京都という都市国家の世界ではぐくまれた、中世の倭人らしさであったなる批評の観点を失うべきではないだろう。原則として審美的な形質はそれが偶有の適所にあわなければ他の多数派を占めるより極端な形質に浸蝕される。京都が大変暑く多湿な盆地であるという現象こそ女々しい情緒をそうでない形質よりも被保存的とした特殊条件だった。なぜならその様な閉じられた世界へ外来種が侵入するのは比較的困難なので、もし変移が主要な競争状態で重要なものよりずっと異様で弱体化したそれでもいやおうなく保存されてしまうことになったろう。

 日本人が、さらに成人男性でも幼児的である行動形質がみうけられるとすればこの女々しさなる中世の陋弊あるいは功罪をなんらかの具合で倭人が引きずっている証拠である。美への寛大さを倭がおのれの誇りとするのは自由だが、それを心底侮蔑し、むしろ貧相きわまる奇形への前兆として破棄する理知に長けた、勇ましい世界観を我々は東国の勝利の伝統的必然性の中に見通すのである。
 万一この様な威厳に従う意思のない中世の情けない怠惰と頽廃の生活を愛顧する王権なるものが実在するとするならば、この根性の曲がった退廃京都人の末裔をすでに汚れきった弱体種として叩き直すか、それすら不可能なら尊崇すべき日本国の本旨に於いて不名誉の愚なる偽の長として本土から追い出す必要がある。

 奴隷的芸者と遊びつつ退廃源氏物語しか読めないゴミの様な王族など存在するだけ邪魔であり、かくある社会は破壊した方が世界の威厳にとって有益であるのが間違いない。頽廃と害悪の巣ならその末裔ごと隔離し、かりそめにも我々がほかの剛健にして尊敬すべき諸部族と今後も先の世界へ歩みを進めるつもりなら全員を、腐敗した邪悪なる異教の徒なるものとして破滅させる使命を負う。

 美への寛大さなるものは少しも褒められた性癖ではない。芸者に一度でもその一見した物珍しさから引き寄せられた者は、おのれの愚かしさ理性的自制心の欠落をあとから反省して恥ずかしく思うばかりであり、精々売春罪人にすぎないなよなよした人柄などなれ親しむべきでないばかりかこれを将来の品性没落の助長とし、尊崇すべき宗教心に背く犯罪者として文明国の王座が命じ人の名に於いて裁き極刑してなんら問題もない程である。そしてもしこの汚らわしい慣習を続けようとねがう女々しい王者とやらが存在するとするなら、我々は過ちに沈んだ東京人のあつまる城を徳川家の魂やどる勇猛たけだけしい豪族の営々と築きせし精神いまわす城に泥を塗る輩として実権ごと奪取するしかない。

 従って厳格な侍の美意識は峻厳の感情に於いて、中世のいやしい女性化しきった麿の世界観よりはるかに尊重すべきであって、この趣旨を理解しない人物は我々の霊感あらたかな国土のかみながらの価値をひきさげる不邁の土民として侮蔑批判して何一つ問題はないのである。
 一切の世間人間並の感情を超越した神格へ近づけばちかづくほど、その芸術はいかなる厳めしい学問とも並ぶ以上の尊敬すべき対象となる。もしイタリアというルネサンスの遺跡がバロックを擁したにすぎないイギリスの本国などよりも芸術の格に於いて圧倒的に上等なら、単なる市場競争を超越した神意への寄進という天才共を突き動かした歴史精神についてどう見ようとも勝っているからだろう。