2009年9月15日

大衆社会の考察

学歴制度による擬態の順位制度。だがいつかはこの隔離社会の歪んだ論理そのものが破綻する。

 社会を、大衆一般を啓蒙する事の困難は益々高まっている。装いの擬態が大衆化された瞬間に、一切の知性をただ自主問題解決の能力だけで計測することは不可能になった。後には何億もの群れになった俗物が支配をはじめた。我々はその調度開始の時代に立ち会わせる因果に出くわした。人間の俗悪さは何一つ変容しなかった。しかし将来永劫に同様だろう。
 人間という哺乳類を知的に啓蒙できるという、この地の失敗したイデオロギーは打ち捨てられねばならない。

 人間は彼らが集団で生活するかぎり永遠に賢くならない、この悲惨な現実を受け入れて、その事実と適合する思想を採用し直さねばならない。大衆政治が愚劣の極度を更新する日に、人類は私の予言が単なる電網上の戯言であるとは諦めきれなくなるだろう。そしてそれは遠くない時期に完全な倫理崩壊として起こるだろう。

 人間が宗教の代わりに経済を信仰した結果、その文化の一切は守銭奴と成金の人気稼業に切り替わったとここに記しておこう。勿論、本来の意味での知性、知識哲学者は非常に少ないながらも地上のどこかに偏在している。だが、彼らが一切の権威を持てなくなる時代が現れたのだ。この大衆社会では世俗性の中庸(商形質)が適応的となった。何百万部も刷られる悪寒のするばかりの風俗小説、読まれるべきではない日和見趣味の丁稚仕事読本(批判や提案なしのアメリカ欽定憲法のあきあきする解説)、自称政治家の筆を汚した殆ど俗説と井戸端会議レベルの青少年向け啓蒙書(むしろ痴呆書と呼ぶべきしろもの)、なにも人間を変えられず、その精神を高貴にしてくれる一切の文化を喪失した同次元の群生が生み出すゴミ情報の肥え溜め、女権拡張論の軽率なミームは一切の美しいもの、一切の繊細でそっと保護されておくべきだったもの、羞恥心、女性らしい心遣い、人間にとって善良さの指標だった数々の美徳を殺し尽くし、男勝りの奇形種、競争心に駆られた近視眼的蹴落とし、その他いかなる卑劣も辞さず後先を省みない繁殖なしの業苦に似た性的放逸(プラトニズムの逆理的頽廃。所謂獣類への退化)の全面的肯定と喧伝、我々を守ってくれるものはもはや何一つなく、一つ前の文化段階へ自然回帰するにはあまりにも情報化にはやった国土は汚染されきっていて狭すぎるので逃げ場すらない。隙間なく天皇家という伝統ある暴力団長の権威でけがしつくすためにアスファルト舗装の湯水の税金道路を無理にでも通し、かたやバブルに先んじた大IT企業は監視の自動車を走らせインターネット上で強制公開する、排気ガスにまみれ、空き地は消え、人事不要な生き物は絶え、すべては熱砂に似たコンクリートの塊で塞がれゆく。低炭素化をめざせと吠える新聞社自身が森の木々を切り倒し、地球中の光合成をせき止め、大量の二酸化炭素を発生させるパルプ工場で増産した無駄遣いのゴミ印刷物を燃やすところまでさらに二酸化炭素を倍増させる。自分自身が生み出す温室効果で発狂した気違いの会社があるとすればそれはどこだろう。子供は低俗な大人がつくった搾取用商業ゲームで妄想をたくましくし、標的どおり同級生だか低年齢だかなんでも構わないが試しに殺害する。復活の呪文などないのだが。そして刑務所はすでに定員を超え、浮浪者を襲っても生活費を稼ごうとする失業と無業のどこまでもつづく泥沼連鎖、一握りの一世代先も見えない豪奢で権力を好き放題振るう成金の甲高い高笑い声が都市を暗褐色で覆い尽くす。

 至る所で待ち構える機械より反省能力を欠いた国製会社員の群れ。ほぼ同じイギリス人に似せた着物をつけ、名刺に恥知らずにも自尊心をみたすための取るに足らない肩書をべたべたごてごてかきつけ、満員電車で汗のふきさらす肌をこすりあう無神経な性質そのままの子孫を国の命令どおり機械的に量産する。経済成長。一体、それで誇りたかった国籍とやらが精神を少しでも高めたか問ういとまさえなく、あしたの食料にさえ苦しむ外人が収奪して同然の卑怯者の稼いだ卑猥な漫画持参金を余し、貧乏人を見下しながら俗物が堕落を堕落のために教え込む(社会人教育。内容は教師の知性の低さに応じた猥褻か和を重んじた低度への折衷か受験闘争用の国家主義右傾強要かのうちどれかもしくはそれらの重ね合いだ)、さても極東の意味不明な出世主義神道国教学校と会社で受験勉強を営々と強制するだけの倭人文明。日本政府の発祥からして卑怯者が貴族制へ媚びを入れた歪んだ非民主政権を拳銃片手に、道理を曲げてでも奪い取ったという情けない代物。
 第一にこの劣悪文明を破滅させ、新しくもっと精神性に勝った社会を可能にする制度を望むのがどんな善人にも精一杯の考えだが、持っている手段は既存体制の固定化を批判するか進歩的な方向へ分かるかもわからない不特定多数の衆生へ論説するといったまるで無力で非効率な最低限度の反抗まがい(しかも豚の耳に念仏なので、視聴率は娯楽に集中する。悲鳴をあげる貧民からしぼりとった国営放送の税収で飾り立てまくったそれ)だけなので、結局は隠遁してなにか風変わりな個性じみた同時代人から遊離した趣味をみたすつまらない芸術かそのあたりの手慰みに耽るしかなくなる。

 一切の知識人というもの、学位や賞歴や報道界での人気に目的を置かない本格的な知識の探求者が科学という生業によって現世的に手に入れるのはそれらの止むことなき不満と徹底的な人間への絶望だと教えるのが重要だ。知識人を現実の栄冠で飾ってはならない。彼らを社会的恩恵から隔絶し、孤軍奮闘させ、人間性を示す一切の指標から離脱させるに如くはない。それでも人間界に年功序列以外の尊敬に足る才能の顕著な差が示されると感じるなら、勉強家の内面にある理性の窓が他のどの擬態よりも明らかに真実を映す様磨かれるからだ。
 彼らが比較的集まっている地域に注目するがいい。この世界では如何なる制度上の虚偽、偽装、うそいつわり、誤解を招く各種の階級差別の浅ましい慣習にも関わらず、極めて少数で微視的ながら生得的な、知性への萌芽そのものを尊ぶ環境が存在しうるのだから。そういう賢人の宿りは決して同時代に有名であったり富裕及び権力連盟の推挙にあてられる訳ではない。結論として、人間は啓蒙しきれるものではなく多くの場合はその努力は無益だが(教育や宗教の及ぶ範囲がいかに狭小で失われやすいだろう)、名士が自発的に集積する地域は存在する。理由とは世界で最も虚偽しづらい真実の在りかなので、もしも運よくそれを見つけ出せたならあらゆる現世的価値を放り出してさえも、必死でしがみついておくことだ。そうすればこの変化しつづける俗世の転回の中で文明にこだわらずに、なおも独立国の内治の様に幸福でありうるのだから。

 すべての世俗的価値からきりはなして観照できるこの種の理由を多く所有すればするだけ、その個性は助言と処世の両面で世間の模範となる確率が高い。