神を知らず、神を畏れず、ただただ金を稼ぐことだけに生き急いだ会社員、それどころか商人同然の公務員が真っ逆さまに地獄へ堕ちるのは「業」と呼ばれる宿命である。
おお、万物が神の手中にあるのも悟らずに畏れおおくもよく拝金教を信じられたものだ。金ぴかものは偉大な神がはじめ感謝の礼にとして渡しておいた、お前たち奴隷の免罪符だったのに、お前たちはそれを今度は神の代わりにしたて拝んでいたのだから。
至善にして全能たる神の掌から一つ一つ丁寧にお造りになった人の心よりもそのつまらない切手が大事な社会人とやら、お前には「業」として、大切な人の心ではなく、いくらなりともお望みの金を恵んでやろう。それはなんでもない、化かした木の葉でしかないのだが。
神の名を知らぬ者よ。世界が何一つ偶然ではありえないのを見るがいい。すべては神の手中で遊ぶ因果応報の劇なのだ。そして人の心を失った獣になれ。真珠を知らない豚として、永遠に責め苦のうちを生きていくがいい。