肉体を通じた精神性の表象のみが、運動競技を単なる戯れから峻別する。自らに科した限界の負荷をルールの許す最も合目的な表現型と一致させること、そしてその絶えざる修練が我々に現実態としての崇高さを付与する。肉体的能力差をではなく、それが用いる最高度の負荷を競技の本質と見なせる限りは、勝敗は成る程ただのゲームに過ぎないだろう。しかしここに優劣の違いがまざまざと示されるところ、本能の統治を果敢に為した精神面での力量差である。知識分析のなしうるところはその比例性を高める事。もし以上の見識が真実さを含むなら、競技の巧みさを決定づけるのは直観の才能だと考えられる。
ある運動方法に対するより合目的な行動型を技術として身に着けるのは、肉体の形質へ与えるべき習慣づけの絶えざる修整、による。それは直観によってしかよくなしうるものではない。