2008年8月14日

自然論

時間とは質量の方向性。故に、宇宙は恒常と多様を両立して行く。もし宇宙模型がこの考えに則り造られるなら、それは全体としては閉じていながらにして部分は絶えず粗密の度合いを移り変わらせるコロイド態であるだろう。ともするとエネルギー保存則が成り立つ訳は閉鎖系としての空間構造を、又それらの流通にエントロピー運動がある由は質量の方向性という第四次元が座標軸上へ与えられているから。我々が引力の起源を物質間の距離二乗に反比例する微視の性質に求めるなら、絶えずそれに斥いて巨視的に再現されて行く自然は色相を移り変わらせているに過ぎず、根本として不変な事、言い換えれば世界は微積分を繰り返すカオスの中にある事を知るだろう。
 唯一、精神だけが秩序を数学なしうる。宇宙に秩序がある訳ではなく、人間精神だけが自律して知性を世界へ投影しうる。神は宇宙の目的を自然の観賞者へも分ち与えた。生命は質量のmicro cosmos。厳密に考えて、万が一光速度以上を自然が許可しなければ如何に振動数条件の高い波束でも永久に宇宙の果てには辿り着かない。ということは宇宙に果てはない。その概念は少なくとも光速度が許可する世界観の内観にのみ森羅万象が有ること、我々には光に照らされていない宇宙外観を如何なる想像力によっても知り得ないと示す。
 人類は将来に渡っても宇宙の外側に辿り着きも想像を致す事もないだろう。無い場所を想像する事を考えればいい。しかしそれでも宇宙の時空間の無限さを否定する論拠はあり得ない。だからもし生命が積極的に技術を高め続けて行けば、やがて彼らは光学的想像力の限りに広がる無際限の多彩世界の内へ冒険と移住を繰り返すだろう。