2008年8月15日

民族状態の目印

脱構築は科学を含む文章を越えて、口語の差延についても当て填る。だからその理念は絶対的理解を拒むが相対的理解を究極で否定する論理ではない。我々の伝達が無内容・無形式という訳でもないし、おもにその能率や適性に様々なmodeがあるだけ。
 だから脱構築は漸進的理解や文明の進歩を否定媒介として切っ掛け付ける方便ではあれ、妨げる力を持たない。分野意識の狭い科学者が哲学の意義を蔑むにせよその批判精神が捉え得る範畴は、全知性の限界である自然界を超えて理念界の全域である。いずれ思考の為の道具であるどの概念も理念哲学の対象でないことはなかった。脱構築は理念としては絶対の真理を、絶えず反省され来る正義以外には認めまい。そしてその正義はカントにより義務と呼ばれたものだ。我々は神の究極原因を全知全能の理想へ託す他には、因果律の起源を明白な仮説思考ないし信仰上仮定して置けはしないだろう。
 科学者達が真理と呼ぶ概念図は、現実には比較的増しな定量的観測を吟味して推論の数学的規則と秩序づけようとし続ける暇潰しのゲームを導き出す理由ではあって、その意味するところは創造された諸世界の中で子供が次第に事象を法則的に追認して行く過程に変わらない。結局はいつしか神に極めて似た人が現れて、更に進化する未来の人は神そのものの近似解に極限的に漸近する事から、理性は自己原因の形相であること、スピノザの考えにも関わらず精神は神自身が理性の光のもとに照らされた秩序であると認識して良い。つまり自己原因である万有の鑑賞者はおのれを永久の秩序のもとに設置なされたのであろう。だから必ずや当為として即ち理想の姿として、我々は神の御身元を、常々想起される魂の連綿という生物および宇宙の一般関係の解答に見出すことができる。信仰と理性とは何れかの文化にとってもある段階でこの様にして普遍に一致する。それから我々は古代インドの偉大な哲人共同体が輪廻という訳語にこの原義を定めて行ったのを知っている。神は万象輪廻の内で変化している自己原因そのものなので、人類が様々な部族に別れて各々の独立と交易の中から自由に発見した理念にせよ究極原因である神は、精神の自律性へと、流転にも関わらず人間の魂の不変不滅をよく信じる長者の道徳として保存されて来た。
 その文化段階において最も経験に富む最も年長の有徳者が保つ魂の形相は、精神性の具体的模範である。その絶えざる伝統はいわば文明の規律と呼び得る。最も理知さとく感情に富んだ個性は運命選択の許す限り、同世代でのあたうかぎり最大限の長命を最高の具体的善意と合致させただろう。そしてそれは我々が現実世界で目にすることのできる最も神に近い生であったし今でもそうであるのに違いない。孝という理念はこの様にしてよく倫理的善意と共に養われている。
 確かに単に長く生きた豚より日々に精魂を傾けたソクラテスの一日の方がずっと良く、孔子の朝に道を聞かば夕べに死すとしても可なりという有名な言行録に際して懐いた感慨はおよそこの様な道徳的相対度が、文明の規律の内側にあっても依然として人生の最終目的であることを指し示したものなのだろう。中国の聖人は道という極めて簡潔な理念へと、以上の当然経るべき哲学と信教の世代間総合を果たしている。カントが神と理性とは矛盾しないことを道徳神学の理念により論拠づける遥か古に東洋の聖徳は、それを又湿潤な情緒との詩的混合型として定義付けることになった。恵まれた自然環境のお陰で奴隷貿易の常識がなかったので、彼らは知性を技術の命ずる必要以上に助長することが全体として民族協働にまつわる最大の和と幸福の害悪であると考えていた。
 故に、西洋文化のどの一文人も、如何なる知性の必然もが脱構築的にしか真実でしか有り得ない比較論の積極性には、東洋文明が恰も怠惰の如くに見える豊穣と歓待の依存的生活への適応によって見通しの効かないほどの多種多才を寛容し育もうとする道士の諦念に関しても実に、いささか母集団を他より一歩先んじさせるのに性急で感情の調和を軽んずる為に自己破壊の衝動を、よって文明自体の解体と呼ぶべき不安定な集団の分裂と闘争を繰り返す傾向の内在した不合理さに連なることより遥かに、お喋りや他の民族への干渉には消極的ながら合目的性の形式が為には一層の賢明な判断である歴史の真実を各文化地の長足の進展を顧みおのずから反省し、文字の通りOrientに、起源へと学ばねばならぬ日が昇り来るだろう。無私の理想は必ずやあまねく認識される時に遇うであろう。例えどの民族がいつの世にそれを迎えるか未だ確定できない。だがどの個性も他より絶対迄には勝り得ず、絶えず配偶を通じてよりそれを改良するしかないことから、精神は可塑的であり乃至集団生活の中においてしか顕現され得ないことを悟り得る。人は他の人に対してのみ人間。故に最も精神的な個性は必ずや文明の規律のさなかに名もなき聖人として、即ち民族状態の恒常観として現れて来る。