2008年6月24日

価値観の自由選択

益々均質に為ろうとする世界で個性は最後の砦。個性さえ失った時、人類は絶滅する。それは人類の成長が終わりを告げた時。もしシーラカンスの様に、その標本を作るのは人類ならざる者、人類より優れて多様性を保つ種だろう。
 あらゆる世界様式をliberalism一色に染め上げんとすアメリカ自体が最も自由に矛盾している。みずからの価値観に対立する意見を暴力でねじ伏せるということは、文化の自己成長を阻害し、社会の進歩を遅らせることに等しい。自由主義以外の国民国家に正統性がない、と主張する権利は何人にも勿ろうにも、だ。一体、世界がアメリカなのではない。アメリカは国民国家の一握でしか無いのだが。その強権は何人にも況して自由への侵害に戻る。
 自由の拡大はアメリカ国民国家内でしか許され得ない価値観。他国の統治権は独立している。故に、この強制に対して民族が立ち上がり最大限の抵抗を尽すことは正義の本性かもしれなかった。自由主義を選択しない自由は俄然あり得るから。