Scienceが人間を幸福にするだろうか。科学は真なる文学の書法として、芸術の素材を提供するに過ぎないのだが。豊富な質料の持ち主はより複合的な、或いは繊細な建築を可能にするかも知れない。又かれらの哲学に予備知識を提供するか。それでも、技術応用の可能性にも関わらず、知識は知識に留まる。Pragmatistの思考がテクノロジーへの期待をふくむのなら、我々は科学という文学形式を質料学の自然研究についての典型と見なすのが一般的、ということになるだろう。
真偽は比較認識に基づく。だからサイエンスは、哲学の理念質料に対して自然質料の概念研究的制作。結局、我々はそれらの概念の精錬を通じてしか自然の認識に熟達しない。よって、科学の全体は自然認識の緻密化という文化類型に定義しうる。それは概念を相対吟味しながら徐々に真偽を見分ける様な体系。そしてその様にして獲得された如何なる概念も、人間の知性についての大事な質料を約束する。
もしscienceが幸福への要素をのぞみうるなら、それは観想の自己目的性より寧ろ質料の実用性に人間への適応価値があるから。