2008年5月11日

人類哲学

道徳水準は肥沃さの為にも死活的と言いうる。世代を下って先代以下の水準しか持たない者は悉く不稔であり、これは彼らの種的劣化の必然な帰結と考えられる。彼らに固有の自己嫌悪はその生殖配偶の失敗を物語る。
 生態に肥沃さを引き起こすのは優化的な配偶についてのみ。これは適応性からの批判としての道徳水準を要請する。何故なら知識は学習行動によって後天的にしか増大できないが、道徳については学習の伝承によっていわば見よう見まねでいつでも再開できる。にも関わらずこれは知識量を継承するよりも一層の困難を伴う。道徳は無形の内に、知らずしらず伝わるような行動に関する義務規律だからである。ある者はある無作法を不規律だと考えられる環境伝統を引かないし、なんら義務感をも抱かない。よって世代間道徳水準は優化種についてだけ当然なのである。その欠落は必ずや不毛さに結びつく。
 だから我々は次の事を信じて良い。少なくとも世代交代は優化種についてだけ当然であり、その道徳水準は向上することはあっても決して下がらない。
 もしある世代の風紀が以前より下に見えたとして、彼らの過半数は世代を継ぐ資格を自然から宛てがわれていない。環境抵抗は性倒錯を引き起こす。これは自然界の全体を通じて絶対に確認しえる命題である。左もなければ性的魅力というものは混乱するしかなくなってしまい、子孫をhetero結合に導く原動力としての性特徴は常に成長の基準を見失い無性生態へと退化せずには置かない。