2008年1月3日

先進国の教育

人口爆発は資本主義の成熟期にある寡頭競争的な教育費の高騰を原因とした少子化によって、自然に抑制される。学歴社会化とはひとえに人口抑制の方法でしかない。順位制の代替物として学歴を用いて人類は子孫繁殖の経済的負担を増大させ、結果、総じて資本主義に適当な経済力ピラミッドとしての社会秩序を築き上げる。これを学歴順位制と呼んでいい。先進国民族は主に資本企業の労働力人事において採用・昇進差別を行ってこれを実現させた。高い地位に就くには学歴が必須となれば子孫の繁栄を想う賢明な親ほど一人当たりの教育費は膨大となる。こうして知的諸能力に応じて人口割合にもピラミッド型を適用し、単純労働力ほど教育期間を短くし、数量をも殖やすことができた。衰亡を避け民族内人口の定常状態を達成するためには、先進国では学歴順位制を脱構築する必然を負う。もしも学歴差別が和らげば人口は再び増大傾向に向かうだろう。然し一方で平均衆度の上昇が民族文明の目標である限り、我々は子孫への教育レベルを高めることはあっても落とすことならない。
 よって新たな順位制を築く前段階として徐々に教育費を無償化する方法が考えられる。北欧諸国の民主社会主義の風土にあっては少子化は解消され既に持続可能性の傾向が観られる。これは社会保障への個人財産の譲渡による教育費の減退によるところ多大である。適性に応じた高学歴志向を排除しないままに人口衰退を解決するには、教育費の社会保障が既存の体制中では最善の方法である。侵略戦争に歯向かう最低限度の自衛力を国連安保の完成待ちの見解としながらも、脱資本主義を計るのは先進化の必然とされる。教育費無償化による人口の定常を達成してからは更に、学歴社会の改良が課題として待ち構える。大学院での研究者育成と学部での一般教育とは手を尽くして質を上げて行くべきであり、入学差別による受験戦争に伴った膨大な教育課程上での無駄は破壊されねばならない。
 国際学力テストは習熟度を測る手段として有効ではあるが、必ずしも知的創造力の審査にはならない。科学において既存の課程をあまねく修得することが直接、ニュートン的発見の機会になるとは限らないのは科挙が官位審査の必要条件であれ知的応用の役には立たなかったのに同然である。
 大学院教育の質を挙げるには大学院間・研究室間での健全な研究競争が図られる必要を負い、その為には教授職の情実人事を破壊し、アメリカのtenure制度を範に取る教授審査会の設立を民度から要求せねばならない。
 又、一部始終形骸化している学部教育の改善には生徒による教授審査投票を良策と為す。単なる権力志向の無能な偽教授がのさばる大学では単なる啓発さえして居らぬばかりか生徒の及第基準絞り上げも不可能なのが実情であり、同時に大学入試での足切りにしかなんら教育能率を持たない名門と呼ばれる大学教授の虚名をも返済不可能になった負債として抱え込んでいる。教育者の再構築が民主政体での命題だろう。
 いわゆる大学教授には他のどんな教育者とも同じ様に研究力と両立した教育力が要求されるのが常識であって、もし研究力しかない人物ならば企業主体の研究所へ所属か若しくは独立した活計での研究を当然と為す。