2008年1月4日

性差論

男女共働はより高度の社交を要請するに過ぎず、女性全般に男性同等の仕事能力を期待するものではない。女性全般が進化的に家内化されて来たのは全人類的であり、野外労役に多少あれ近似する大部分の生産労働においては、ある文明段階の高度な作業であるほど男性全般を凌ぐ事は余程の例外を除いて希である。
 万が一、圧倒的な男勝りの女性が産まれたとして彼女一人だけの為に社会全域を全体主義で性差平均化すべき理由はない。真実の天才ならば道を自ら切り拓くだろう。
 男女の別は緩やかに維持されるだろう。性差は単に当代文化適合的ならば善。如何なる社会でも男性全般へ家内向けの教育を必修化する理由は、少なくとも人類という雌雄異体の生物にはあまりないだろう。もし生産労働がその極点においてほぼ完全に家内等値化された暁にすら、性別は男女に別々の特性を付与することだろう。生態活動の巾は性別によってより能率よく分担され得たのだから。