2007年12月22日

社会学

なぜ人間は働くか。彼らが生活に必要な物資を得る為に。要するに共産主義とは分業の、従って能力の否定である。ある生産に関する高い能力の持ち主が低いその持ち主と同じ成果しか与えられない自然社会は存在して来なかった。
 対して資本主義は生存競争の経済的肯定であるだろう。全ての自然社会は資本経済的であるだろう。なぜ人間においてのみ調整的正義が必然になるか問えば、我々が人間社会を要求しているからだと答える。我々は単純な生存競争から、自らの体制改良の努力によってのみ脱出し、理想国へ漸近しえる。共産主義はrobot達の社会においてしか実現不可能である。我々人類が自然に支配された肉体を持つ限り、我々の人間において能力格差を終極迄否定し得ない。我々人類は人工知能の製作者として優秀ではあれ、それが精神の限界でもある。我々人類にとっては当為でしかありえない理想国は機械達においては容易でもある。
 資本主義は分業への特化としてしか役立ちはしない。我々は世界宗教を通じてのみ追求して来れた共産制度を生活協同組合の暫定改革によって自らの内部に生み出しえるだろう。その永久改革の結果は我々人間においてのみ調和的な様な中庸体制に行き着くだろう。というのは人間が生まれる限り肉体には偏差が現れ、理想国へ向かう努力しかできず、我々はAI robot達の絶えざる手助けを行う製作者として自らの使命を全うしえるだろう。彼らにとってしか激しい肉体的困難を伴う時間旅行や宇宙探険はできないのだから。例え他惑星の文明人と出会ったにせよ、彼らの操作するロボットを通じて専ら我々は発展的交遊を脱銀河的に図りえる已である。地球は我々の第一の住処である。