2007年12月7日

漢字学

白川漢字学の定説化は避けられねばならない。
 一人の主観が脱構築不可能な定義になると、民族全体が否応なく、主観に残存せざるを得ない偏見を、白川風に身に着けないとは限らない。従って白川氏を源流とする漢字学は必ずしも国定にすべきではなく、民定の文化であるべきだろう。

 我々は聖書としてではなく、単なる参考の一字引として白川辞書を利用すべきだろう。
 字脈を知りながら全く独創的な用法を発明して良い。知らずに破格しきる事はなかなか困難ではあるが。例えば仁とか道が、和と同じく、そういう温故知新の脱構築字義であった様に。