2007年11月7日

民族論

地球学術への知能自体は地球閉鎖時代における道徳に過ぎまい。というのは、飛べなくなった孔雀のように、人類の知能が偏り無いとは我々自身には証明できないだろうから。むしろ普遍適応とは思想の緻密観についてのみ現実的である。我々は地球学術において偏りないintelligenceを目指すべきで、ある分野への特化は専ら目的では無い。従って地球人類間学識競争での勝利は目的では無い。重要なのは「文明」である。人類の将来性を推量すれば必ずしも各分野の頂点を取らなくても良い。

 知能偏差を測り適宜修正を加える為には客観的試験が必然。国連基準と国家基準とを照らし併せて判断せよ。同じレースにおいてあらゆる分野で一位を取る、ということは先ずあり得ないし、仮にそれに近い結果があれば試験法が偏っていると心配してみてさえ良いくらいだ。適切なのは地球文明人類間での平均点数以上を維持し続ける努力だ。未開部族を含めなくて良い。文明人類とはおおよそ近代化に成功した先進国民族間に限って良い。なぜなら周回遅れてしまった部族については、文明人類とは異なる種としての普遍的存在意義があるのだから。
 自由主義国際は文明人類における進化を誘う。未来として知覚されうる現代以降のpolisはその内にのみ実現可能性がある。種的進化は集団変異の幅についてのみ図られる。なぜならある突然変異傾向を一定数以上に増殖させた時、その民族はかつての種族との交配理由を離脱するのだから。淘汰は漸進的に行われ、進化は突然に現れる。

「文明」とは先進国際における進化土壌を意味する。それは性淘汰の傾向をinternationalに善導なしえた民族についてのみ現実的である。