2007年4月9日

学歴制の害

より暴威に属さない正しさを現象させる事は全ての倫理哲学の実践が目指すべき方向。身分が職務に対する呼称のみならず、人格に対する差別を伴う民主政内差別構造であるのは周知。よって我々の正義はこのような体制内腐敗の芽を摘む事、身分を破格すること。肩書きを隠匿することは極めて建設的な知識人格処世。というのは、自ら肩書きを表明することはどちらの差別に遇うにせよ身分制の強化故。自由主義者は職分と身分のあいだに如何なる差延をも見つけない。しかしこの様な方便では所詮、国家の独善から免れないのだった。学歴制は高級官僚による煽動政治の世襲寡占術になんら違わない。
 先進知識人、文士の民主教化によってしか学歴制の弊害を破格することはできない。衆愚の偏向した身分差別観は例外との均衡適切へ向けて修正されることを要する。穏健主義の言論政治的な改良乃ち、世論政だけが衆愚政治の堕落に対する革命としての最終地点を示している。それは学歴制の脱構築を確かに要求している。