2007年4月10日

学歴主義の非

大学の権威は自由主義内に流毒する病気でもある訳だ。少なくとも現況日本において、学歴制は中流最多の原則に対する。なぜなら格差は教育可能性に直結する。高学歴化自体には格差を拡大する向きがある。国家を強化するから。よってそれは又、南北あるいは東西の経済偏差をも誘発する露悪たりうる。とすればいずれこの様な歪みは奴隷化の悲劇へ繋がるのが帝国主義だった。
 学位とは人間性への冒涜。その権力破格のためには如何なる手段も択ぶべきではない。たんに学閥を政治的に調整するだけでは足らない。学位の授与自体を大学組織の生態維持のためには停止することは専らできない。とすればその相対化、漸進的な無効化が会社的に慮られるべき。学歴不問の吟い文句が企業内での人材淘汰を義務づけ、同時に雇用の流動を指導するのは周遊的。商業の競争中枢は能率へ還元されている。趣味人の正道が国際実益の優先にあるのは明らか。それは究極において国家資本を脱構築する場所までとどまらない。