2007年4月10日

日文論

Alpha-betaは決して純正の表音記号ではない、だからカナ文字に比べ、発音記号を要する不便がある。よってローマ字とはいえ、表意性の恩恵によってのみ文明的。もし明日にもあらゆるローマ字を表音記号で記述する様にしたら大混乱が起こるだろう。それは不条理だから。より複雑かつ個別的・限定的な方言の揺らぎが不必要に際立たざるを得ないし、大体が間延びする。それは日文においてあらゆる文語をカナへ書き下せば分かるように不便。いいかえれば、表音文字は文明の目的にはない、むしろ言文相互の変換能率が合理。
 現代中文において盛んに、ほとんど由来のない略字が導入されているが、実はそのことによって文盲は更にふえがち。なぜなら文語においては表意性が目的。表音とは、読むためだけに必要。よって、中文の改良に当たっては凡そローマ字型alphabetによる発音記号のカナ振りがより適当なので、必ずや無闇な略字は不文を推進させる原因にならざるを得まい。なぜなら方言に対する標準語への統合是政にとってもその読みの定まらない文字記号は邪魔でしかない。
 音読み・訓読みによる外来先進文明字の表意利用法的援用は日本語における文明を前進させる。なぜならそうすることで言文相互の情報効率を向上させる。日語は漢文字にあれalphabetにあれ文字の持つ表意的可能性を抽出するために、表音仮名の利用法を適宜応じさせて消化した。それらの表記的工夫は結局、もとのことばにとっての媒介でしかない。