2007年4月20日

過大な福祉的献身を偽善と受け取られないためには商売をしなければならなかった。もし商売なしに喜捨し続ければ外人はかれらを奢侈、おごりと呼ぶから。以上がデリダのユダヤ商人の合理化に使った論理である。しかし、現実には商売人は蓄財をして喜捨を怠るので、この論理は空理である。