絵画や彫刻について造型上の反復は目的らしくはないが、建築についてはそうでない。つまりごく単純なことで、建築は人体に比する規模の故にある単位を反復して用いることが否応なく要請される。対して絵画や彫刻では人間的尺度の故に必ずしもそうではない訳だ。
だから造型系統によって合理性とはかなり違う概念であり、また各々の美の理想にも異なる影響を与えずにはおかないだろう。絵画や彫刻を建築とは違った文脈で批判しなければならない理由がここに見い出される。尤も、こういう認識でさえ、少なくとも審美術という次元ではとある芸術家へ定格を与えるだけにしか役立たない。
我々はガウディとミースの、あるいは東照宮と桂の中におなじ反復という方法の利用を観るが、両者は違った様式的趣味のもとに建築されたが故に、相異なる姿をあらわすに留まる。