かつての前衛的建築家や文学者が、社会批判の役割を果たす為に担っていた貴族性は大衆芸の成立と共に形骸化したと云える。その代わりに我々が得たのは迎合や宣伝を手段とした俗物趣味の模倣主義だった。
袋された銘柄を売り出す為に競合するしか彼ら、作家の能はない。それでも世界あるいは市場は彼らの職能に何らかの期待をしているのだ。
ゲルハルト・リヒターが嘆く様に芸術家という称号には未だ、何らかの栄光の残滓がある。それは付加価値の無際限な差分を演技的に表象してくれること、という殆どピエロじみた諧謔でしかないが。
我々は独創性という思念を軽蔑すべきだ。
現代芸術は匿名的で、無個性で、普遍的で、まるきり普通で当たり前でどこにでもあり、どこででも簡単に手に入り、また何のおかしみも有しない、まるで記号的で、いつ幾らでも交換可能な人工物自体でなければならない。