2006年8月31日

都市の近未来

高密度集住は人類にとってすら自然であり、高度情報化や高速交通利便の向上も実はこの為に構築される機構でしかない。その訳は思想の最速での交換は情報流通の合理化に由るのだ。
 牧歌的生活への懐古が老衰した痴人どもの脳裏を如何に霞めようと超高層ビルや高架・地下交通網を含めて現代都市を総合的に再開発して行く事は避けられず、又避けなくてよい。なぜならそれらは全て都市優化による愚老の為の快適環境をも創造するからである。君もし、エレベーターがあらゆる普遍設計の内部に平らな空間の実施に適うものとみなすのなら、殆ど超高層ビルの全ての層間は一続きの巨大な普遍空間と等価視し得る。
 積層性は集密にとって基本手法であるから、それらが構造的に安定であれば在る程、即ち脱地上的である程殆どあらゆる外的自然からの抑圧を一旦排除し、確保された現代都市は万人にとっての個性的生活を保証する普遍空間なのだ。自然空間建立の格闘は、この様な現代都市の建築の中でのみ可能性を持つ。それは空間の風土的な貫入であり、地域における風流な工夫の導入。
 風情は上記の文化的な経過を通してのみ、都市の最適性のなかに実現するだろう。それは集密の否定ではなく、文明と文化の必然的止揚としてあらわれてくるような人間の風習である。